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Tsubame flies NEOSAITAMA

ツバメ・フライズ・ネオサイタマ

ニンジャスレイヤーファンフィクション

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 ネオサイタマ。猥雑と絢爛、栄華と欺瞞の街。平素は重金属酸性雨降りしきるこの街も、今日は薄雲がオブラートめいて空を覆い、夜のネオンを反射した薄いピンク色の天蓋となっていた。

 ミツオモテストリートに狭い感覚で立ち並ぶビルの壁面を蹴り、隣のマンション階段へしめやかに着地する影あり。文字の欠けた『みん  持ってる』のネオン看板が、機能的な流線型のサイバネ脚に美しい光を投げかけた。

 影は階段の手すりを掴んだ。即座に鉄棒めいて一回転して下の階へ。よどみなく廊下を駆け進む。サイバネ脚に履かせた伝統的ブーツ「ジカタビ」によって、彼の足音はほぼ無音だ。

 やがて影は目当ての部屋を見つけると、バックパックから射出された物を大切そうに備え付けの郵便受け箱に落とした。カワイイな百合の花の、オリガミメールだった。

『配達完了ドスエ』左耳のイヤフォンから合成マイコ音声。今日の業務はこれで終了だ。あとは、時間外業務―なにより大切なミッションをこなさなければならない。影―オジロ・メグロは、「安全」と編み込まれた真っ赤なネックウォーマーを口元まで引き上げた。

 オジロはパルクール・ヒキャクである。それも、仕事のために両脚と呼吸器をサイバネ手術している、身体的エリートだ。このサイバネ手術のために組んだローンはあと十二年残っているが、彼にとっては些末なことだ。

 彼の勤め先は、シロヤギチャン・ユウビンという。主に物理メールを集配する中堅企業だ。物理郵便以外にも、バックパックに収まる程度の軽貨物を「ハヤイ・ヤスイ・アンゼン」をモットーに取り扱う。実際その通りの仕事をするよう、現場たたき上げの社長自らが職員を鍛える。

 ネオサイタマでは軽貨配送や宅配ピザなどヒキャク業界自体の需要は多いが、現在、書簡を扱うヒキャクは少ない。かつては栄華を誇り、エド時代では要職にあった郵便ヒキャク事業は、パーソナル端末がポストであり文机になった現在その業務を大幅に縮小している。

全てはショッギョムッジョ。驕れるブル・ヘイケの末路は皆さんもご存じであろう。

 今や郵便ヒキャク業界は氷の時代だ。ライフスタイルの多様化したネオサイタマに於いて、二四時間配達は当たり前。少ない人員で過剰な連続勤務を強いた挙げ句配達中に転落死するヒキャクも少なくないという。

 しかし、シロヤギチャン・ユウビンは違う。社長が元ヒキャクであることや、手を広げすぎない堅実なビジネスにより、今いる従業員でスムーズに仕事ができる環境にある。

「この仕事は歴史あるイダテンの仕事だ。誇りを持ってやれ」というのが、社長の口癖だ。イダテンとは、古来よりヒキャクが信仰する俊足のニンジャである。

 そのイダテンに恥じぬよう仕事せよという社風、そんな社風に胸打たれたヒキャクが集まり、シロヤギチャン・ユウビンは業界の中でも特異な立場を築いていた。

 しかしその風向きも変わる。つい四日前の出来事だ。帰宅途中のシャグチ社長と、オジロのアンドン(道路状況や事故情報を社屋から伝えるナビゲート役の業界用語である)だったタイシロが屋台の豚足を喉に詰まらせて亡くなった。

 オジロが最後に社長達と会ったのは、亡くなった日の夕方だった。夜勤シフトに入るオジロと入れ違いで、珍しくスーツ姿の社長と、外出準備をしているタイシロ。「オハヨゴザイマス。二人してどうしたんスか」「オハヨゴザイマス。おう、オジロ。タイシロ借りるぞ」

「エー? 俺の仕事は」社長の言葉に口を尖らせると、オジロの頭を社長の拳骨が襲った。「いってェ!」「アンドンに頼りすぎンじゃねえ! たまには一人で仕事しろ! 大事な取引があるんだ」「悪いな。そういうことだ」

 タイシロはオジロに言う。「社長は一人でって言うけど、クガ=サンに入って貰った。あまり困らせないように」「アイ、アイ」オジロは承諾した。社長への不平も、ただ言ってみただけで本気ではない。

「なんか大変な話ッすか?」「心配してる暇があンなら、ルートの組み立てに入れッてんだ。今日は多いぞ。しっかりやれや」社長がオジロの背中を力強く叩く。「アイ、アイ。社長もミスんないでくださいよ」「当たり前だろ」ヤギ社長は悪い人相が余計怖くなる笑顔を見せた。タイシロとオジロも笑った。それが最後だった。

 ヤギ・シャグチ社長、およびリコウ・タイシロの社葬は、中堅会社らしい規模で、しめやかに執り行われた。取引先、競合他社、社長個人の友人、知人、同じビルの住人、そしてオジロを始めとする非番の従業員たち。

 オジロはボンズが読経している間中、人目も憚らず泣いていた。二人の恩人を、いっぺんに失ってしまったからだ。

 四年前、オジロはカチグミの息子を病院送りにする乱闘騒ぎを起こし高校をドロップアウト。ヒョットコになる程やさぐれていた。人を殺したことはなかったが、手のつけられないヨタモノだった。それを拾ったのが他ならぬ社長だ。

 反骨心の塊だったオジロの手綱を取り、ヒキャクとしてここまで育ててくれた。容赦ない鉄拳と罵声による訓練は未だ悪夢に見るが、オジロがサイバネ脚を導入したのは、ひとえに「この人に追いつきたい」と思ったからだ。

 一方、タイシロはネオサイタマ大法学部卒で、司法試験の受験料目当てのアルバイトがそのまま居着いた変わり種。オジロの先輩にあたる。

 彼のナビはオジロを的確に目的地まで照らしてくれたが、お調子者のオジロを小難しくたしなめるお守り役でもあった。その物言いがカンに障ることもあるが、彼がいなければオジロはその無謀パルクールで三、四回は死んでいた。

 他の社員達は、オジロを気遣って声をかけなかった。そんな中、オジロに声をかけたのは他ならぬヤギ社長の未亡人だった。

 社葬の参列客もまばらとなった頃、オジロはヤギ未亡人に呼び出された。それまで気丈に涙をこらえていた彼女が、葬儀テンプルの空き部屋にオジロがやってきたと見るや、オジロにすがりつき声を上げて泣き出した。

「お、奥さん?」「オジロ=サン! 私、悔しくて……悔しくて……!」((ウワーッ! 奥さんの豊満が!))「お、奥さん落ち着いてください!」喪服の上からでもわかる心地よい圧力に不可抗力で体温が上がるが、オジロはヤギ未亡人を根性で引きはがした。

「俺だって、悔しいですよ。こんな形で亡くなるなんて」オジロの言葉に未亡人は首を横に振った。「あの二人は殺されたのよ」「……殺された?」思わず聞き返す。「殺されたなんて、そんな」「理由ならある」未亡人は充血した瞳でオジロを見つめる。その迫力に、思わずオジロは気圧された。

「……実は、ウチを子会社化したいっていう話があったの。カラカミ・ファンド社から。それを、あの人はずっと断り続けていた」「カラカミってあの、社長がよくテレビに出てる?」オジロは顧客以外の企業に詳しくない。子会社化についてもよく分からない。オジロの想像力と教養はその程度だった。

 未亡人は続ける。「そう。その会社。そして、あの人達は子会社化なんて名ばかりで、ウチの配達記録が欲しいだけだった。ウチのお客さんを、投資……金儲けの材料にするため」オジロに分かるよう言葉を選んでくれた未亡人の説明で、オジロは事態が飲み込めた。

 シロヤギチャンにとって、顧客情報は守るべき大切な秘密だ。誰から誰に、どのような郵便や軽貨がどのぐらい来るのか。そこから手に入る情報は膨大だ。だからこそ、そうした情報は配達以外には使わない。そうして信頼を得てきたのが、この会社だ。

 顧客情報を使って金儲けするのは、職業倫理をバイオスモトリのエサにすれば容易いことだ。けれど、ヤギ社長がそんな事を承諾するはずがない。「それで、社長は断って……?」未亡人は頷く。

「あの夜は、担当者と話をつけてくるって、タイシロをつれていったの。法律的な問題とか、色々あったから」そして二人はその帰り道に亡くなった。

 未亡人は目元を白いハンカチでおさえる。「無理矢理契約が結ばれたとしても告発の準備ができていた。こんなところで、こんな死に方なんか……」「奥さん……」オジロは強く拳を握った。未亡人の話が本当ならば、社長たちは会社を守るために理不尽に殺されたことになる。

 それに、ヤギ未亡人はオジロの密かな憧れだった。社長への恩と敬意により表に出すことはなかったが、何か間違いが起こってくれたらという夢想をしたことは少なくない。そんなヤギ未亡人がうちひしがれている。

「オジロ=サン……!」ヤギ未亡人から、再びすがりつかれる。「頼みがあるの。あの人の無念を晴らしてちょうだい!」引き受けなければ一生後悔する。オジロは詳しい話も聞かず、夢心地で即答した。「よ、ヨロコンデー!」

 十二階建てマンションの屋上で、オジロは未亡人から託された物の感触を確かめる。今回の買収について告発しようとした社長が遺していたデータと、不当契約書の電子コピーだ。これを、社長が生前連絡を取っていたジャーナリストの元へ配達すること。それが、オジロのミッションだった。

((このミッションが成功すれば、買収の話もつぶれて、奥さんの株も……))

「オジロ=サン!」「奥さん……!」「貴方のおかげで、あの人も報われたわ。シロヤギチャンもやっていける。貴方はヒーローよ!」「俺はただ、奥さんと社長の為に仕事をしたまでですよ」「オジロ=サン……! なんて奥ゆかしいの!」「アアーッ! いけません奥さん、そんな! そんな!」

 オジロは自分の妄想に、しまりのない笑みを浮かべかける。((まぁ待てオジロ。焦るな。『急いだヒキャクがカロウシする』。ミヤモト・マサシも言ってる))まずは確実に仕事をこなすこと。いつもと同じように。ヘイキンテキを保つことだ。

 オジロはそう己に言い聞かせてマンション屋上から移動を始めた。配達先は、エンガワ・ストリートと隣のブロックの境目にある立体駐車場だ。妨害にあう危険を考え、待ち合わせて受け渡すことにしたのだ。エンガワ・ストリートまでは最短距離を選べば一〇分もかからないだろう。

 常人の三倍はあるサイバネ脚力で「おうどん」「全額返金」の看板を跳び渡り、オジロは周囲より一段高い雑居ビルへ着地する。((ノビドメの運河迂回して、タノシイとかチョットの辺りから攻めるか))ルートを考えるオジロに、突如青黒い突風が襲いくる!「イヤーッ!」

「グワーッ!」その風からタックルを受け、オジロは屋上出入り口の壁に激突! 跳ね返って床に体を打ち付ける! 何が起こった? サイバーゴーグルには「背部軽傷な」のアラートがポップアップ。うつ伏せに倒れたオジロが顔を上げると、タタミ一〇枚分ほど先に、一人の男が立っていた。

 まずその場違いさをオジロはいぶかった。ボディラインに張り付いたラメ生地コスチュームはLEDラインを配し、青から黒に変わるグラデーション。首回りには豪勢な羽根飾り。口元はヴェールのような布で覆われている。大道芸人か、歓楽街の歌劇ゲイマイコか。

 なんとか立ち上がると、強化肺に空気を送り込み、せき込む。「……誰だ、テメェ」「ドーモ。オジロ=サン。クワドラプルです」LED装束存在が名乗った。オジロの背筋が震えた。本能的な恐怖がオジロを寒からしめたのだ。「ヒキャク。書簡を渡してもらおうか」「ドーモ、オジロ・メグロです」

 ヤギ未亡人の依頼が漏れたのか。オジロはそう判断した。「あいにく今日の配達は終わったぜ」タフガイじみた態度で応じようとしたオジロだが、「イヤーッ!」クワドラプルと名乗る男の放った何かが彼の左手小指をケジメし、悲鳴を上げて転げ回る。

「グワーッ! グワーッ!」オジロのちぎれた小指には、鋭いスリケン状の氷が刺さっていた。((氷……? ナンデ? スリケン?))「ネズミが私に逆らうんじゃない。いいか、貴様は、書簡を持っているはずだ。それを寄越すんだ。素直に応じぬなら次は眉間だ」「アイエエエエ……!」

 のたうつオジロの脳裏に去来したのは、業界で囁かれるニンジャの噂だった。タケノコ・ストリートでテクノギャング惨殺死体を目撃したヒキャクは、死体にスリケンが刺さっていたと主張し、配達中にニンジャに襲われ、ニンジャに逃がしてもらったと言い張るヒキャクもいる。

 まさか、ニンジャは本当に存在したというのか? オジロは痛みと恐怖にともなう吐き気をこらえながら、クワドラプルを見る。彼は、威圧的にタタミ一〇枚分の距離を蛇行して近づいてくる。……蛇行?

 オジロは見た。クワドラプルのブーツから、鋭い氷のスケーティングエッジが伸びているのを。そのエッジを使って、こちらに滑り寄ってくるのだ。アイスリンクで華麗に滑るスケーターめいたエッジワーク。瞬き一度の間に、彼はオジロの鼻先にその顔を付き合わせるようにかがみ込んでいた。

「さあ、書簡を」ヴェールに覆われた口元が酷薄に歪む。「ア、アイエエエ!」もはやオジロにまともな思考はできなかった。とにかくこの恐怖から逃れたい、その一心だった。
恐怖からの逃走、そのために、オジロは震える腕でバックパックのジッパーを開ける。

 欲しい筒を手探りで取る。「そう、それで良いのですよ」愉悦に歪むクワドラプルの鼻先に向けてオジロは筒を突き出す。そして、トリガを引いた。「グワーッ! 目! 目グワーッ!」クワドラプルがのけぞる。

 吹き付けたのは、暴徒撃退用ワサビカラシスプレーだ。これでひるんだスキをついて、自慢のサイバネ脚で逃走する。それが、オジロに染みついた「逃走」のやり方だった。

 オジロは逃げだした。自分がぶつかった屋上出入り口のドアを開け、転げるように中へ飛び込む。階段を飛び降り、サイバネ脚をがむしゃらに動かす。((ヤバイ……ヤバイ。あいつはダメだ!))上で鉄製のドアがぶち破られる音。

((止まるな!))恐怖で硬直することを知らないサイバネ脚は、オジロのゴーサインでどこまでも動く。本能的な恐怖に突き動かされ、空きテナントを突っ切り、窓から街灯の棒に飛び移り、体操選手めいて一回転、軽トラックの荷台から道路へ着地。

 今までも配達中にヨタモノやヤクザから狙われたことはあったが、そんな連中とは比較にならない威圧アトモスフィアをオジロは感じていた。((ファック! ブルシット! ファック! なんで俺がこんな目に!))英雄、そしてヤギ未亡人との甘い妄想を夢見ていたヒキャクは、目的地も忘れて逃げ続けた。

 ウグイス・ストリートにある退廃ホテル『トロピカル発電』。バイオヤシやバイオハイビスカスで南国アトモスフィアを演出する高級ルームの野外プールで、酩酊した無軌道大学生たちがじゃれあう。長い髪をオイラン風にまとめた女が、ケモ・ビールで紅潮した顔を隣の男に向けた。

「実際オーガニックな交流ですね! ノードラッグ!人のぬくもり!」隣の伊達眼鏡男が微笑む。「我々のサークルはこうした物理接触によるセイシンテキを目標にしているんです」「ワースゴーイ!」男たちはネオサイタマ大学のジョック系イベントサークルだ。

「ドラッグパーティーなんてナンセンス! 物理接触によるイベントを主宰することで、人脈も就活の実績も生まれ、実際WIN―WINなんです!」伊達眼鏡が安心感ある笑顔で続ける。クリーンさを演出し、彼女らをテゴメにしてしまう方便だ! なんたる欺瞞!「なのでぜひ他のお友だちも―」

 SPLASH!「アイエエエ!」上がる水しぶきと女の悲鳴! 十数秒後、「プハーッ!」水中から顔を出したのは、「安全」と編み込まれたネックウォーマーをつけたヒキャクだった。「危なかった……」そう呟くと、あっけに取られる男女達の間を難儀そうな立ち泳ぎで横断する。

「ここ思い出して良かったぜ」プールを上がったヒキャクのサイバネ脚が、水を反射して光る。ネックウォーマーを外して絞り、ヘアバンドめいて頭にかぶせた。そこでやっとジョックサークルたちに気づいたのか、ばつが悪そうな顔をした。

「ドーゾ、続けて」呆然とする彼らにヒキャクはそう言い残し、バイオヤシの間に消えていった。「エ……エート」ジョックたちは目配せした。アクシデントに上手い切り返しができれば、彼女たちのウケも実際倍点!「アー、こうしたサプライズも実際刺激になります! 吊り橋エフェクトといって―」

 FREEZE!「アイエエエ!」上がる氷の結晶と女の悲鳴! 数秒後! ゴウランガ! 水面に薄い氷が張ったではないか! そしてその氷上には、氷で作られたスケート靴を履いた、青黒いLED装束存在!「ア、アイエエエエ!」今度は男も悲鳴を上げる。
 凍り付いたプール表面で加速をつけたLED装束存在は、ヒキャクの後を追って跳躍。男の鼻先をスケート靴が掠め、削り取られたプールの氷がきらめく。謎のLED装束存在は彼らに目もくれず、ヒキャクの消えた方向へと消えていった。残されたのは、薄氷から首だけ出した男女たちだけだった。

「ハックション!」オジロは身震いした。脚を冷やそうと手近な水場に飛び込んだのだが、体まで冷やしてしまっては世話がない。防水仕様の装備一式だったからできた無茶だった。((でもまぁ、頭は冷やせたから良かったよな! いや良くねえよ!))前向きに考えようとしたが、バカバカしくなった。

((OK、状況を整理しよう))どこをどう逃げたものか、気づけばエンガワから遠ざかり、ウグイスまで来てしまっていた。サイバネ脚はオジロの全力逃走に耐えきれずオーバーヒートを起こす寸前だった。それを外から無理矢理冷やした。そこまではいい。

 トロピカル発電のタージマハル風丸屋根を蹴りつけ、四車線道路の対岸にある別の退廃ホテル「三尺玉」へ跳ぶ。飛距離が足りない分は、巻き上げ機構つきのフックロープを「三」のネオンに引っかけて補った。体を引き上げる。

((追っかけて来てるのはニンジャだ。しょうがねえ、いるモンはいるんだ。認めよう。取引の件はバレてる。アイツを引きはがさないと取引相手もヤバイ))三尺玉の非常階段を飛び降り、目抜き通りを覆うアーケード屋根に着地。猥雑看板やマネキネコのバルーンの間を駆け抜ける。このペースでは指定時間に間に合わない。

((ほんと何やってンだ俺))いつもこうだ。すぐ調子に乗って、勢いにまかせた状況判断でヘマをやらかす。((二人が生きてたら説教ものだぞ))ヤギ社長もタイシロも、オジロにとって無くてはならない二人だったが、同時に、頭の上がらない、おっかない二人でもあった。

 そんな二人が今のオジロを見たら何というか。オジロはニューロンの彼方から二人の小言を聞いた。((オジロテメッコラー! ブツが濡れたらどうすんだコラー!))((なんだその有様は。せっかくのサイバネ脚も、今のお前じゃ、ネコにコーベインだな。しっかりしろ))
((そうは言うけど、こっちはニンジャとチェイスしてンだぞ!))オジロの反駁は、記憶の社長たちに一喝された。((ベランメー! ガタガタッテンナコラー! 最小体力で最短経路! 街と自分のコンディション把握重点できて半人前だ!))((お前がそんなだと、こっちはチャを入れる余裕もないんだぞ))

 自分が思い出したにもかかわらず、オジロはいささか腹が立ってきた。なぜ自分は死人からも記憶の中で罵倒されねばならぬのか。((あんたらの代わりに仕事してンだぞ……もっとなんか! 感謝とか! あるだろ!))記憶の二人はダンマリだ。

 二人が生きていれば、この後どう言っただろうか。知る機会は永遠に失われてしまった。((見てろよ。絶対成功させて、アンタらの目をゴマじみた形にしてやるからな!))オジロはバックパックのサイドポケットからバリキドリンクを出し、一息にあおった。ビンを投げ捨てる。

 小指の痛みがマシになってきた。トリックを決めながら膝関節から強制排熱。「残り一〇分」の文字がゴーグル右上に点滅。出力全開での走りはあと一〇分が限界。オジロは頭の中で地図を広げる。体で覚えたオジロだけの地図だ。まずはすぐ裏手のツチノコ・ストリートに出る。そこから先は、時間との戦いだ。

 サイバネ脚もあまり長くパルクールを続けられるコンディションではない。最小体力、最短経路。走りながらサイバーゴーグルに時計を表示させ、オジロの考えるその経路への到達時間を計ろうとする。その表示の向こう側に……人影あり!

 ナムサン! クワドラプルだ! オジロの足は止まらない!「イヤーッ!」飛来するスリケン!「イヤーッ!」咄嗟に前転回避! スリケンはオジロの心臓があった空間を切り裂き後方へ! 前転の勢いを推力に変換! アーケードの採光窓から飛び降り、バイオ街路樹をクッションに目抜き通りへ着地した!

 レンガ風タイルを蹴りつけ、カップルの間を縫うように走る。ドラッグストアの巨大ゾウサンをスライディング通過し、狭いビルの隙間をジグザグに蹴ってさらに上昇! ゾウサン頭部が飛来するスリケンで破壊! オジロはフックロープを雑居ビル屋上に射出、素早く巻き上げ機構を働かせる。

 狙い通りツチノコ・ストリートを見下ろす屋上に抜ける。((背中に目がついてりゃ便利なんだけどなァ、畜生!))その背中の目を担っていたタイシロはいない。オジロ独りで切り抜けなければいけない。((ブッダファック! 見てやがれ!))窓枠やベランダを器用に蹴る。ケバブ屋台のPVC屋根をクッションに着地。店主の怒鳴り声に片手で応えて走り出す。

 起伏に富み、細道や裏通りの多いツチノコ・ストリートを、オジロは敢えて選んだ。広く見通しの良い通りは追いつかれる。無防備な時間が長すぎてもいけない。常に動き回り、氷のスリケンをやりすごすべし。背後から時折聞こえる「イヤーッ!」「アバーッ!」という声は聞かないフリをした。

 オジロは走る。走る。人混みを縫い、ショーギに興じる老人達がテーブル代わりにしていたドラム缶を両足で飛び越え、リサイクルボックスを、電柱を、ネオン看板を蹴り、バイオスモトリの入った鳥籠によじ登る。目指すは雑居ビルの屋上。
 排気ダクトをスライディングでくぐり抜けて隣のアパート屋上へ渡り、回転受け身から身を起こし加速。パルクールは進行方向への加速エネルギーを殺さぬ独特の受け身を取る。社長の罵倒を浴びながら、肘や肩を何度も打ち付けて覚えたことだ。

「残り六分な」の表示。((そりゃドーモ!))ツチノコ・ストリートのはずれ、建設途中で放置されたカラオケビル。そこが、オジロの目指す中間地点だ。フックロープや跳躍で、縦横無尽に上を目指す。上昇するほど、ツチノコ・ストリートの喧噪が遠ざかる。

 喧噪の代わりに、後ろから規則的な滑走音。((ウカツしたな))オジロは速度を落とす。((少し早い))最上階。アームの張り出したクレーンが何台も放置され、重金属酸性雨による腐食が始まっている。その中で最も大きなクレーンに飛び乗る。そのすぐ足元に、氷のスリケンが突き立った!



 クワドラプルが、怒りと屈辱に歪んだ顔でオジロを見ている。「追い詰めましたよ、ちょこまかと動き回る目障りなネズミ」追いつかれた。冷や汗が吹き出す。「書簡をこちらに」オジロは深呼吸した。クワドラプルの目を見たまま、担いでいたバックパックをゆっくりと下ろす。

 外したバックパックを滑らせるように二人の間へ放る。「今度はなにもしないぜ」と両手をあげる。用心深さと威圧感を伴って、クワドラプルが蛇行しながらバックパックに滑り寄る。スケート靴のブレードを横向きにそろえて停止しようとた、その瞬間!

 オジロはバネ仕掛けの人形めいて体を反転、クレーンのアームを駆け上がり、サイバネ脚の出力を限界まで上げ、飛んだ!

 気でも狂ったのか! このままでは飛び出した先に広がる産業用道路に熱烈キスだ! しかし、オジロは不敵な笑みを浮かべたままのフリーフォール! さながら一羽のツバメが滑空するごとし! そして!

 BUMP!

 およそ二〇階の高さからオジロを受け止めたのは、無造作に強化ロープで括られ過積載された大量の生ゴミ―正確には、それを輸送する大型トラックだった。体は丸めたが受け身はきちんと取れず、サイバネ接合部が衝撃で痛む。オジロはうめき声もあげられずにうずくまる。しかし、最短経路には上手く繋がった。

 マルノウチ・スゴイタカイビルから廃棄される様々なゴミを、毎日定時に業者が回収する。そのトラックがここを通るタイミングを、オジロは知っていた。それに合わせてクレーンから飛び出したのだ。今日はデイ・オブ・ザ・ファイア。生ゴミの日である。

 ややあって、オジロはゴミの臭いにむせながら起き上がった。バイオマグロやバイオイカの残骸、乾いたソバ、テンプラ油を吸い込んだ古新聞を払いのける。膝関節から排熱。まだ乾かない白黒のPVCパーカや髪がゴミまみれだ。けれどオジロは両の拳を夜空に突き上げた。「やって! やったぞ!」

 バックパックにはあの青黒野郎が探している物も、オジロがこれ以上必要な物も、何一つ入っていない。バックパックをひっくり返しても、出てくるのは小銭とレシート、飲みかけのペットボトルぐらいだ。今日は平常配達で受取書の必要な物は携行しなかった。

 これでしばらく時間が稼げる。携帯端末で、受取人の連絡先をコール。端末を腕のホルダに戻し、イヤフォンマイクで通話。「いつもお世話になっております。シロヤギチャン・ユウビンのオジロです」受取人は時間が近くなっても来ないオジロにいくらか気を揉んでいたらしかった。オジロは弁明する。

「この配達の件、どっかに漏れてます。妨害されてて、到着が遅れそうなんです。でも必ず行くから、もう五分ください……エッ? アッハイ。そう、ニンジャです。今? なんとか引き離して……アッハイ。受け取りを代理人に変更。構わないです。名前と特徴を……ハイ。ハイ。確認します」受取人の言葉を復唱する。

「代理人はイチロー・モリタ=サン。草色のトレンチとハンチング。何で来ます? バイク? ……エッ? ……はぁ……わかりました。じゃあそのモリタ=サンに、この端末を渡して、受取書に署名かハンコを。ハイ。じゃあ。ナンシー=サン、失礼します」
 業務用の声で応答したオジロは首をかしげながら、通話を終了した。受取人の女ジャーナリストはオジロを追う相手をニンジャと看破し、代理人を立てたいと言ってきた。しかも、その代理人は必要ならパルクールも使うと言う。ヒキャクをしようとしたこともあるし、腕は立つそうだ。

 受取人なりのジョークだろうか。なんにせよ、取引はまだ生きている。オジロはホルダのIRC端末を軽く叩いた。「オマエが無事で良かったぜ、ホント」社長の遺した告発データは、トークンから全てこの端末へ移動させていた。あと五分もらった。必ず行かなくては。後リミットはどのぐらいあるのか。

 確認しようとしたサイバーゴーグルの表示が明滅し、消える。何度か軽く小突くが、表示は戻らない。「もうちょっと頑張れよお前!」オジロは悪態をついた。

 どこまで行ける。サイバネ脚でここまで全力のランは初めてだ。駆動部品がいくつか壊れていてもおかしくない。それでも行かなければ。時速一〇〇キロ近くで走向するトラックの上で、オジロは荷台のフチを掴みながらなんとかトラック後方へ移動する。
((しばらく魚臭いの取れねェんだろうな……))フック付きロープを道路脇の巨大な電光看板に射出。フックが引っかかる。トラックの荷台をキック。スピードが乗って勢いよく看板に衝突し、画面に映るネコネコカワイイの顔面にヒビが入る。しがみつくようにロープを掴んで痛みをこらえる。

 その高所から振り返ったオジロは見た。「マジかよ」遠く後方に伺える氷の軌跡。それが、だんだん近づいてくる様を。「マジかよ……!」オジロは泡を食ってフックを外し、看板の支柱に飛びつくと滑り降りた。「あれは! 卑怯だろ!」想像以上のスピードだ。オジロは壊れたサイバーゴーグルを外し、投げ捨てた。子供っぽさを残す目元があらわになる。

 非常階段の手すりをジャンプで飛び降りる。呼吸器もサイバネにしているので運動による息の乱れもないはずが、心臓はバスドラムめいて早いビートを刻んでいる。バリキで高揚しているせいだけではない。オジロは微かに震える両手で頬を叩き、気合いを入れ直した。

((エンガワ・ストリートだ。もう少しだぜ俺))ビルを跳び渡り、割れた窓ガラスを踏みつけながら走る。ジカタビがオジロのサイバネ脚を守り、傷ひとつつくことはない。廃材や崩落で通れない通路は、サイバネ脚を活かした長距離ウォールランで越えていく。

 エンガワは、シロヤギチャンヒキャク達の訓練ドージョーだった。社長から、暴れる元気があるなら楽勝だろうと笑われたのも、テメェにサイバネ脚なんか早いと言われながらもその特性を使いこなせるよう助言されたのも、このストリートだ。そこかしこに、社長との怒鳴り合いが焼き付いている。

 実の父親にもここまで怒鳴られたことはなかったし、オジロもここまで目上の人間へ怒鳴り返したことはなかったが、オジロはその怒鳴り合いが、嫌いではなかった。

((だんだん分かってきたぜ))オジロの目つきが鋭くなってゆく。((俺は恩返ししなきゃならない。そういうタイミングなんだ))最後に社長と会った夕方、力強く叩かれた背中が熱かった。

 背の低いカワラ屋根にある崩れかけたシャチホコから、対面の割れたガラス窓へ飛び込む。廃マンションの一室。生活の気配が消えた部屋を駆け抜け、指定場所の立体駐車場へとベランダから飛び出す。((よし! ゴールだ!))その中空で、彼の両足は強化チタンの塊になった。

 お手本通りに曲がっていたはずの膝が伸びる。体が重力に掴まる。なんとかフックロープを駐車場の外壁に引っかけて巻き上げるが、駆け上るための両足は沈黙したままだ。オジロは状況を理解した。

 重たい下半身を引きずり、立体駐車場にうつぶせに転がり込む。膝関節から長い排熱をしたきり、オジロの脚はぴくりとも動かなくなった。汚れたコンクリートの床を殴りつける。「クソッ!」自分のせいだ。ウグイス・ストリートの無駄なランがなければ。

 上半身を起こし、這いずるように駐車場の中程まで移動する。「スミマセン! シロヤギチャン・ユウビンです! お届けに来ました!」張り上げた声はコンクリートに空しく反響する。まだ来ていないのか。オジロの聴覚が、規則的な音を拾う。モリタ=サンの足音か? オジロは顔を上げて耳を澄ます。

 しかし次第に近づいてくる音は、待ち望んだイチロー・モリタではなかった。規則的な滑走音。ずっとオジロの背後から聞こえてきた、あの音。オジロは歯がみした。追いつかれちまった!

「ドーモ。数分ぶりですね」予想通り、嘲るようなクワドラプルの声だ。「ここで待っていれば、取引相手も来るのですね」さっきの呼びかけは凶と出たようだった。「アブハチトラズ。あなたの取引相手もまとめて黙って頂くことにしましょう。とはいえ」クワドラプルの双眸がオジロの両足を見た。

「まただまし討ちされても面倒ですから、厄介な物は排除してしまいましょう」「止せ」嫌な予感がした。上半身の動きで逃れようとするが、ただ腹を見せる様に引っくり返っただけだった。クワドラプルが滑り寄ってくる。氷の軌跡が描かれる。黒いスパンコール装束がLEDを反射して冷たく光る。

 小さく首を横に振るオジロめがけ、クワドラプルのスケート靴を履いた片足が、ギロチンめいて振り下ろされる。「イヤーッ!」右足の膝から下が切断される。痛覚はないが、オジロは痛みとは別の感情で悲鳴を上げた。「ウワアアアアーッ!」

「あの男も言っていますね。右をやられたら左も、と。イヤーッ!」クワドラプルのスケート靴が、ギロチンめいて振り下ろされる。左足の膝から下が切断!「ウワアアアアーッ!」オジロは再び悲鳴を上げる。「さあ、これで逃げられません」満足げにクワドラプルは頷いた。

「書簡はどこです」まだ相手は、データではなく書面だと思っているらしい。それに少しの光明を見いだしたオジロは、転がった膝から下、火花を散らす自分の脚を見ないようにして笑った。「教えねェ」「イヤーッ!」クワドラプルの強烈な蹴り上げ!「オゴーッ!」オジロは数メートル飛ばされ嘔吐!

 えづきながら体を起こそうとするオジロの横に、クワドラプルが冷気を纏わせて近づく。「どうですか? 教える気になりましたか」オジロは奥ゆかしくなく中指を立てる。喋れないのだ。

「イヤーッ!」再び蹴りを食らう。「オゴーッ!」吐き出す物のない胃袋が胃液をぶちまける。食道が灼ける。意識が飛びそうだ。

「では、貴方を殺してから調べます。私のジツをネズミの血で汚すのは好かないので生かしておきましたが、仕方ありません」クワドラプルの口元が酷薄に歪む。「貴方の上司のように、スリケンで楽には殺しません。私をコケにしたインガオホーを、フリープログラムで味わっていただきます」

((待て、お前、今……))オジロは死刑宣告よりも大切な何かを聞いたような気がした。それを尋ねる気力はもう残っていなかった。((こいつが……このクソ野郎が社長とタイシロを))クワドラプルの足が高く上がる。

 時間が鈍化する。((このまま自分は死ぬのか? 恩も返せずに? 顔向けできないままで死ぬのか?))そんなのはゴメンだった。しかしオジロには、もはやニンジャに手向かう術は残されていなかった。オジロは知る限りの神々に、そしてイダテンに祈った。死神の鎌じみたスケート靴が、オジロの首筋を狙った、その時!「Wasshoi!」
 オジロの無念に応えるような力強いカラテシャウトが駐車場の空気を震わせた。クワドラプルの纏う冷気が遠ざかる。オジロには見えなかったが、一枚のスリケンが空を切り裂き、オジロとクワドラプルの間に突き刺さったのだ。「だ、誰です!」うわずったクワドラプルの声。

 カラテシャウトの主は、ジゴクの猟犬めいた声でアイサツした。「ドーモ、初めまして。ニンジャスレイヤーです」オジロの意識はそこで反転した。



「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。クワドラプルです」スリケンアンブッシュの動揺から回復したクワドラプルは、左手を腰に当て、エレガントに芝居がかったオジギをしてみせた。そのオジギからコンマ二秒後、ニンジャスレイヤーはスリケンを投擲する!「イヤーッ!」

 迎え撃つクワドラプルは、右足を軸に上体を倒し、体を大きく斜めに旋回! ウインドミルスピン! 振り上げた左足のエッジで、スリケンを蹴り返した!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは跳ね返されたスリケンをブリッジ回避!「イヤーッ!」

 しかし敵はその一瞬を突いた!「コリカグラ・ジツ! イヤーッ!」広い駐車場の床が、凍る!「これが私の本来のジツ! フーリンカザンだ!」「ヌゥーッ!」重心が後ろに偏ったニンジャスレイヤーはバランスを崩しかかる! その無防備股間へ更に追撃のコリ・スリケン!

 辛くも腕力をバネにバック転回避!着氷でややぐらつく。しかしニンジャスレイヤーはニンジャ筋力で体勢を立て直し、油断なくカラテ警戒と状況判断を行う。フロア一帯がアイスリンクめいて一面の氷だ。しかし、己のニンジャ脚力を持ってしても、氷を踏み割ることが出来ぬ。ジツの力だろうか。

「ニンジャスレイヤー=サン。ご高名はかねがね」クワドラプルは、ニンジャスレイヤーの周囲、タタミ五枚分程の距離で円を描くように片足滑走する。「ニンジャと見ればところかまわず噛みつく狂犬と聞いたが、噂は本当だったようだ。しかし、私のジツを破れた者は未だおらぬ」

 ニンジャスレイヤーは答えぬ。クワドラプルは低く笑った。「ベイン・オブ・ソウカイヤなにする者ぞ。私のフリープログラムが終わったときに投げ込まれるのは、花束でなく貴殿の無残な死体であろう」フリープログラムは通常五分間。つまり、それだけの時間で決着をつけようと言うのだ。不敵!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはクワドラプルの挑発に耳を貸さぬ。滑走位置を予測しスリケンを投擲!「イヤーッ!」クワドラプルはイナバウアー回避!「イヤーッ!」再度スリケンを投擲!「イヤーッ!」高いバレエジャンプで回避! なんたるニンジャ柔軟性とフィギュアスケート技能の悪魔的合体か!

「私のスケーティングはニンジャとなったことで更に研ぎすまされた。柔軟性、ジャンプ高度、体軸の安定感、E難度のワザも思いのままよ! イヤーッ!」前向きに滑走していたクワドラプルが跳躍する! 生身ではほぼ不可能な四回転半アクセル! ニンジャだからこそ出来るワザマエだ!

 更にジャンプ中に二枚のスリケンを投擲! 一枚はニンジャスレイヤー、もう一枚は、倒れるヒキャクを狙っている!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーもスリケンを二枚投擲し相殺! 最小限の腕の動きでバランスを崩さずやってのけた! ワザマエ!

 しかし、それはあくまでクワドラプルの目くらまし。「イヤーッ!」クワドラプルはニンジャスレイヤーの背後から、ニンジャ跳躍力でタタミ五枚の距離を詰めると、空中で上体とフリーレッグを水平に倒す。その足の動きは後ろ蹴りめいて、ニンジャスレイヤーの背を切り裂く!

 足を取られまいと垂直に重心を取り氷にベタ足立ちしているニンジャスレイヤーは、このアンブッシュに対応できぬ!「グワーッ!」背中を浅く切りつけられ、前のめりにたたらを踏んだ。クワドラプルのはヴェールの下でサディスティックな笑みを浮かべた。

 クワドラプルはその姿勢から、競技スケートにあるまじき速度でスピンを始めた! 体をT字型に回転させる、基本のキャメルスピン! 彼のエッジがサイバネ脚をカステラめいて両断したのは、読者の皆様も覚えているだろう。それだけの威力を持つエッジに回転が加わった、その威力たるや!
 しかしカラテ距離ならばニンジャスレイヤーにはアドバンテージがある。右足を軸に体を反転、腰溜めのチョップ・ツキを繰り出す!「イヤーッ!」しかしクワドラプルは軸足を変えて姿勢を低くとった! キャノンボールスピン! キャメルから流れるようなコンビネーション! 加点!

 ニンジャスレイヤーのツキは虚しく空を切り……ナムサン! クワドラプルのフリーレッグが、アキレス・ニンジャも弱点とした脛を狙う!「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの脛当ては無残に切り裂かれ、足から血が噴き出す!

 咄嗟におぼつかぬバック転で距離を置く。このままではジリー・プアー(徐々に不利)だ。相手は近距離でスピン、遠距離からはスリケン投擲とワンパターン。威力のあるエッジ攻撃も、致命傷にはなりえない。弱敵だ。しかし、フーリンカザンは敵にある。

 ニンジャスレイヤーも、ニンジャ筋力とニンジャバランス感覚によって直立カラテ警戒は行える。スリケンも放てる。しかし決め手に欠ける。このまま真綿を喉に詰め込まれるような持久戦を強いられてしまうのか!

 その時だ。((……フジキド、なんたるウカツか!))ニンジャスレイヤー……フジキド・ケンジのニューロンを、邪悪な同居人の声が逆撫でした。((みすみす奴のフーリンカザンに引きずり込まれおって!))((奴を知っているのか、ナラク))

((奴は知らぬ。しかし、コリ・カグラの使い手を殺したことはあるぞ。コリ・ニンジャクランの中でもジツに特化した一派よ。儂が奴らを相手にしたのは、極寒のクシャロ湖上……ジツの開祖エフゲニ・ニンジャはジツのみならずカラテ強者で))((無駄口はいい! 対策を教えよ!))

((八つ当たりをするでない、フジキドよ))声……ナラク・ニンジャはフジキドを嗤う。((思うようにカラテできぬなら、カラテ距離に持ち込んでしまえばいいこと。コリ・カグラなどと気取っておるが、氷を滑るだけならアザラシにも出来るわ))

 フジキド・ケンジのニューロンに根を張る邪悪なニンジャソウルは誘惑する。((もっとも今のオヌシにできるか? 大人しく儂に体))((黙れ!))ニンジャスレイヤーはそれを一蹴し黙考する。接近戦に持ち込むには、敵の足を止める必要がある。

 一方、タタミ五枚の距離を滑走していたクワドラプルは、ニンジャスレイヤーがカラテ警戒したまま微動だにせぬことに勝利を確信していた。さしもの死神も、クワドラプルのフーリンカザンを打ち破ることはできなかったのだ。

 このままキンボシを取れば、このフリープログラムは必ずやアマクダリの伝説となろう。怪我で引退を余儀なくされ、選手生活では決して得られなかった輝く大金星。そのチャンスが目の前にあるのだ! 彼の精神は高揚した。

 しかし、二人のニンジャが己の世界に没入しているこの時、床の冷たさで意識を取り戻した男がいる。そう、この場にはもう一人、クワドラプルに敵対する男がいる! 彼は青黒い色つきの風を認識した。ゴーグルの補正がなければ、彼の視界に写るクワドラプルを捕らえることは難しいか? 否!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは、飛来する物体を察知し、掴み取った。「これは……」フックロープだ。ドウグ社製よりやや質の落ちるそれは、倒れたヒキャクが打ち出した物のようだ。そして、一瞬両者に張り渡されたロープに、獲物がかかる!

「グワーッ!」クワドラプルだ! ロープに接触、転倒! なんたるブザマ! スケーターの敵は審査員でも他の選手でもない。己だ。己とのイクサにおいて慢心など言語道断である。ニンジャスケーターとなり演技への情熱がゆがんでしまった故か。その姿を見たヒキャクが小さく「好きにさせッかよ」と呟いた。

 転倒したクワドラプルは、今宵数度にわたり己の美しい滑走を無粋に邪魔したヒキャクを睨んだ。「オノレーッ!」銀盤はクワドラプルにとっては賞賛と殺戮と自己礼賛の神聖な舞台。ネズミの分際で、その舞台を汚した罪業は重い。両脚切断だけではもはや足りぬ!

 クワドラプルはオジロへ向けて怒りのスリケンを投擲! しかしそれは別のスリケンによってインターラプトされた!「貴様の相手は私だ」ジゴクから吹き上がる亡者の怨嗟じみた、禍々しい声。クワドラプルはそのアトモスフィアに圧倒され、振り返る。

 そして思い知った。己がいかに無謀な勝負を挑んでいたかを。

 陽炎がゆらめいている。クワドラプルが切りつけた足の傷口から流れた血が赤黒い炎となり、ニンジャスレイヤーの足に纏わりついている。そして死神が氷を踏み締める度、足元の氷が蒸発し、陽炎を作っているのだった。クワドラプルは戦慄した。

「ジャンプ回転ならば私でもできる。採点してみるが良い。できるものならば!」ニンジャスレイヤーは炎を纏った足で高々と跳躍! そして、おお、見よ! あれは!「イイイイイヤァァァァァーッ!」あれは! 奥義ヘルタツマキ!

「グワーッ!」クワドラプルに雹めいて襲いかかる全方位スリケン放射! 広い空間がアダとなり、隠れる術もなし! 死神の周到な計算と跳躍角度により、ヒキャクはクワドラプルの影となりスリケンは当たらない。タツジン!

 クワドラプルの伸縮性に富むが薄い装束がスリケンによって切り裂かれる。「ヌゥーッ!」辛うじてその場で頭部をガードしつつ高速スピンすることで、致命的な一撃だけは避けた。死神は着氷する。その足元の氷が音を立てて蒸発した。

 その着氷を狙い、クワドラプルは連撃!「イヤーッ! イヤーッ!」連続バタフライキック! しかし一撃が軽い! 死神はクワドラプルのキックを片手でいなすと、蹴り足に渾身のカラテチョップを叩き込む!「イヤーッ!」

「グワーッ!」クワドラプルの右膝から下があらぬ方向に曲がる!「イヤーッ!」しかしクワドラプルは無事な軸足を更に回転、勢いを乗せた回し蹴り!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは踏み込むことで蹴りを回避し、ポン・パンチ!「グワーッ!」クワドラプルは吹き飛ばされ、倒れた!

「イヤーッ!」追いついた死神は、倒れたクワドラプルの左膝を容赦ないストンピング!「グワーッ!」クワドラプルの左膝から下があらぬ方向に曲がる!インガオホー!「氷遊びは終わりだ」クワドラプルは恐怖に血走った瞳で、死神を見た。

「ハイクを読め、クワドラプル=サン!」「最終滑走/キスアンドクライは/ひとり」クワドラプルはハイクを読んだ。ニンジャスレイヤーはその頭部を、燃える足で踏みつけた。「サヨナラ!」クワドラプルは爆発四散した。

 朦朧としたオジロの耳に足音が聞こえる。赤黒い装束につつまれた、傷だらけの足も。そのキリングオーラを間近に浴び、オジロは畏れた。((ダメだ))オジロは身じろぎした。端末だけは守らなくては。

 赤黒のニンジャは、オジロの前でかがみ込む。「忍」「殺」のメンポがオジロの網膜に焼き付く。「ダメだ」((やめてくれ! そいつだけは!))しかし赤黒ニンジャは、その腕に巻いたホルダから端末を抜き取ってしまった。赤黒のニンジャは何も言わず、そして振り返りもせず、オジロが入ってきた窓から出て行った。


 オジロが目をさますと、そこはサイバネ専門病院の大部屋だった。ベッドのすぐ両隣は白いカーテン。薄い水色の病院着にはモンキーレンチのロゴ。オジロのかかりつけだ。((端末は!))意識を取り戻すと同時にオジロは跳ね起きようとし、失敗した。サイバネ脚がまるごと接合部からなくなっており、バランスが取れなかったのだ。

 それでも手の届く限り辺りをひっくり返したが、端末は見当たらない。((夢じゃなかったのか))オジロの心が鉛めいて重くなる。あの赤黒ニンジャが端末を持っていったのは、現実のことだった。

 結局、仕事には失敗、会社は買収され、オジロに残るのは不名誉とローンだけか。恩返しもできなかった。((どのツラ下げて会社戻ればいいんだよ))

 ベッドに両手をつく。その右手が、何かに触れた。週刊誌だ。オジロが普段読むオイラングラビアや袋閉じつきの物とは違う、社会派の記事が多い硬派な雑誌。タイシロがよく読んでいた。その表紙見出しに、オジロの目は見開かれる。

「狙われる顧客情報 ヒキャク会社買収と暗黒メガコーポ」の文字。((どういうことだよ))オジロは週刊誌を開き、記事を見つけた。

『……ある中堅ヒキャク会社S社の社長より、その買収の条件を提示した際のデータを受け取った。これによると、顧客情報を営業利用するよう社内規定を変更すること、経費削減の為にヒキャク社員数を半減させること等が盛り込まれていた。以下にその全文を記す……』

『……社長は交渉を打ち切るために社員を伴い話し合いに向かったのち、帰らぬ人となってしまった。命を賭した告発と、このデータを運んで来たS社のヒキャクのおかげで、我々はまた暗黒メガコーポの卑劣な実体について暴くことが出来たのだ……』

((ナンデ? この記事、アレがなかったら書けない奴じゃねえか。あの赤黒いアイツから、誰か奪ったのか?))オジロは困惑した。何が起こった?

その記事の最後に、一通のオリガミ・メールがはさまっていた。黒いツバメの形に折られている。中を開く。

 入っていたのは、軽貨用の受取書だ。そこに押されていたジツイン・ハンコを見て、オジロは一瞬呼吸を忘れた。そこには、「忍」「殺」というシンプルだが禍々しいハンコが捺されていた。

「……へへッ」オジロは笑った。彼の笑い声は次第に大きくなり、ついには看護師長が飛んできた。それでも彼は笑うことを止めなかった。会社はどうなる? 自分はまた飛べるか? 不安は様々あったが、今だけは笑いたかった。

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