
farewell, a ■■■■■ like me #2
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5
先代のゴーストジムリーダーは、鍛えた体に知的好奇心を詰め込んだ女性で、祖母の手芸友達だった。トレーナー業の傍ら、ラテラル遺跡でゴーストタイプの調査をずっと続けていて、デスバーンがパートナー。まるで初夏の風みたいに、爽やかな気軽さでもって、オニオンをポケモンバトルの世界へ連れ出してくれた。彼女のおかげで、オニオンは今、優しい大人に囲まれ、差し引きトータルで楽しいと言える生活を送れている。
先代はゴーストタイプの素晴らしさと恐ろしさを愛情と共に語れる人で、オニオンが彼女から教わった事は沢山あった。
ずっと覚えている事がある。
サンルームで祖父の丹精した庭を眺めながら、なにかの流れで、ゲンガーの話になった時。オニオンが、事故後に搬送された病院でゲンガーに救われたことを話すと、先代は目を輝かせて「すごいな」と呟くと、オニオンの隣で午後の陽気にまどろむゲンガーを見た。
「ゲンガーが人間に『選ばせる』なんて、余程気に入られたな……きみ、今すぐにでもウチで学ぶべきだよ。ゲンガーの愛情を受けとめたかろう」
「……え」
その時初めて知ったのだ。朦朧とするオニオンに向かってゲンガーが見せた、「どうする?」というような、あの表情の意味。
あの時の答えによっては、オニオンは、今頃この世のどこにもいなかったのだと。
◆
風に揺れる木々の隙間から、スポットライトのように月明かりが差し込む。照らされるのは、素顔のオニオンと、頭と下半身がボクレーになりかけた男の子。男の子に寄り添うように浮かぶボクレーは、この子を助けてほしいと細い声で鳴く。
オニオンは小さく頷くと、そっと男の子の傍らに立った。
「こ、こんばんは……」
オニオンは細い声で挨拶する。
「えっ、と……あ……すてきな夜、だね」
『!』
オニオンが声をかけると、切り株の顔がはね上がった。
『きみ、ぼくのこと見えるの?!』
その弾む声にオニオンが瞬きしていると、男の子は両手を挙げて喜んだ。
『やったあ!』
頭の切り株から聞こえる泣き声が止まった。
『やっとぼくの事無視しない人に会えたよー!』
オニオンは注意深く、仮面の下にある男の子の様子を伺う。声の調子と、目元のわずかな表情で、この子を分かっていかなくちゃいけない。自分と話す時の優しい人たちの事を、オニオンは少し思い出した。
「あの……とっ、隣、座って、いい?」
許可と、受容。その繰り返しが、彼らとのコミュニケーションをとる一歩だ。
『いいよ!』
「あっ……ありがとう……」
オニオンは、男の子の右隣へゆっくり座る。ゲンガーは、オニオンの更に右横に短い足を浮かせて腰かける。オニオンが落ち着くと、男の子は半透明の下半身を、足のようにぶらつかせた。
『ボクレーがね、近くに同じぐらいの子がいるから、呼んでこらんって言うんだ。きみ、それで来てくれたの?』
「そう。きみと、お、お話が、したくて……」
膝に乗せた手を軽く握って、男の子の顔を覗くように体を傾けた。
「教えて。きみのこと」
『いいよ! なんでも聞いて!』
オニオンは口の中で、「なんでも」と繰り返す。それは怖い言葉だ。ゴーストタイプの「なんでも」には、例外がないから。オニオンの言うことは「なんでも聞く」ゲンガーも、オニオンが「やりたいな」と口に出したら、どんなに酷いことだって、やってしまうだろう。
だから、オニオンは沢山の知識をつけた。友達と一緒に、悲しくない方へ進んでいくために。この子とも、悲しくない方へ向かってあげたい。男の子の隣に浮かぶボクレーの心配そうな泣き声のためにも。
キルクスタウンの路面で遊ぶように、オニオンは、恐る恐るの一歩を踏み出した。
「きみ……いつから、ここにいるの?」
名前は聞かない。尋ねれば問い返されるかもしれないから。
『いつ?』
ぱちぱち、と、木のウロの奥で、男の子の大きな黒い目が瞬きした。
『わかんない』
男の子は明るく答えてから首をかしげる。
『ぼく、ずっと、この辺でボクレーとトレーニングしてたんだけど。この前から、ここから動けなくなっちゃったんだ』
エンジンジムに行きたいのになあ、と、男の子はこぼした。
(……ジムチャレンジの途中だったんだ。この子)
服装もチャレンジャーのユニフォームだし、間違いないだろう。でも、昨シーズンの行方不明者に、この年頃の男の子はいなかったはずだ。
「おうちは、どこ?」
『シュート! スタジアムのそばでね、ダンデとカブのエキシビションも見に行ったんだあ』
「そ、そう、なんだ。すごいね……」
昨シーズン、そんな試合あったかな? オニオンは内心で首を傾げる。
「あの……ボクレーは……きみの友達?」
『そう! ぼくの相棒!』
男の子は、思ったよりも素直にオニオンの問いかけに答えてくれていたが、顔を下に向け、地面を蹴るように下半身を波打たせた。
『でもね、パパとママが、ゴーストタイプは家に入れちゃダメって……』
オニオンの隣で、ゲンガーが目尻をションボリと下げた。オニオンも同じ顔になる。
『悪い子じゃないのにね、わがまま言わないの、って怒られちゃった』
男の子とは少し違ったけれど、オニオンにも似た過去がある。事故の後もゲンガーやヒトモシと仲良くしている事を、周囲の大人は歓迎してくれなかった。
「……悲しかったね」
オニオンのリハビリを担当したナースは真剣にグリーフケアを勧めてくれたし、親戚の幾人かは、可哀想に、この子は自分だけ助かったショックで、とハンカチで目元をおさえた。
そうじゃない、本当にこの子達とは友達だ、と、何度も言ったけれど分かってもらえなかった。最初に理解してくれたのは、オニオンを案じた祖母が自宅に招いた、先代のジムリーダーだった。
『でも、バッジ集めてカブみたいな試合ができたら、ボクレーも見直して貰えるでしょ? 一緒に住んでも良くなると思うんだ』
未練ではなく希望の詰まった声で顔を上げた男の子に、オニオンは何も言えなくなった。その沈黙を肯定と捉えたのか、隣の男の子は、木々の隙間に覗く夜空を見上げて続ける。
『去年、カブがメジャーに戻ってきてくれたでしょ? ボク、カブと試合するのすっごく楽しみなんだ!』
「え……」
この子が言っていた、ダンデとカブのエキシビション、の意味をオニオンは悟る。この子が言う試合は、オニオンはアーカイブでしか知らないものだ。
『カブかっこいいよねえ! ボク大好きなんだ! きみは?』
「あ、う……うん……ボクも好き、だよ」
『ほんと?!』
歓声をあげた少年は、カブについて、ここが好き、あの試合がかっこいい、など話してくれているが、オニオンはほとんど上の空だった。
この子は、まだ自分が亡くなった事すら分かっていない。ジムチャレンジを続けたいという気持ちの強さが、かろうじて人間のような姿を取っているだけ。こんなケースは初めてだった。
どうしよう。オニオンは助けを求めるように、右手をゲンガーに伸ばす。友達の指先が振れる。
今、この子には二つの選択肢がある。
ボクレーになるか、人間の魂が行くべき所へ向かうか。
もしボクレーになれば、オニオンの手持ちとしてカブと戦うことはできる。けれど、そのためには、この子に降りかかった悲しい事を伝える必要があるし、そんな形でも願いを叶えるべきか、オニオンには分からない。
「きみは、ボクレーのトレーナーでいたい、よね」
思い切って尋ねると、男の子は、足のように揺らしていた半透明の黒い下半身を止めた。
『どうしてそんな事聞くの? 当たり前でしょ?』
男の子の瞳が赤く輝き、オニオンの体をぞくりと震わせた。ゲンガーがオニオンの手を強く掴んでくれる。
「そう、だよね、ごめんね。変なこと、言って」
不安定な存在を刺激しすぎた。気づいたボクレーが、男の子が膝を曲げたように座る所に収まってくれる。男の子は、そのボクレーを抱きかかえて撫でた。
『この子は、ぼくの友達だし、バトルのパートナーだから。ぼくたち二人で一緒に戦うんだ』
「友達……」
オニオンは目を伏せた。ボクレーと、この子の「ともだち」は全く別のものだ。
一部のゴーストタイプが見せる愛情は、「相手を自分と同じものにしたい」という形になって現れる。他のいのちを恐れるから、自分と同じになってようやく、安心できる。オニオンはそう考えている。
「きみも、この子を友達、って、思ってる……よね」
ボクレーと目を合わせて尋ねると、ボクレーは「自分もそう思っていた」とか細い声をあげる。「でも、間違ってしまった」、と。だとしたら、ボクレーの助けを求める眼差しも理由が分かる。
(きみと同じにして、ずっと一緒にいたかったんだね)
けれど、男の子はボクレーと一緒にトレーナーとパートナーとして戦いたかった。
「大好きなんだね。ふたりとも、お互いのこと」
オニオンはゲンガーの左手を握る。
人間を怖がるくせに、人間が大好き。そんなゴーストタイプと共に生きるなら、愛情のルールを決めないといけない。それを決めないまま仲良くなると、人間は不本意なまま「あちら」に行ってしまう。このボクレーと男の子のように、それから、四歳のオニオンと友達になりたくて、無邪気に命を奪おうとしたヒトモシの様に。
『うん! きみも、ゲンガーと友達なの?』
オニオンは頷くと、ゲンガーの左手を握った。
ゴーストタイプと人間との間で起こる不幸を避け……避けられなかったものは悲しむ人を減らす。そうやってポケモンを育て、人々にアドバイスをするのも、ジムや自分の仕事だと先代からは教わった。エンジンジムのヒトモシを見守るのも、そのため。
(だから、これはボクの仕事)
オニオンは、今やるべき事を定めた。
「ゲンガー、は……特別、仲良しなんだ」
人間を恐れ、言葉のいらないポケモンバトルに居場所を求める。そんなオニオンと、ずっと一緒に遊んでくれる一番の友達。
『バトルも好き? きみのゲンガー、すっごい強そう』
「うん。とっても強いよ。ポケモンバトルも、好き……だよね?」
横のゲンガーを見る。元気よく声をあげて頷いてくれて、オニオンはにこりと笑う。
「きみのボクレーも、とってもゆうかんで、強い子だった」
そのボクレーに、オニオンは心の中で詫びた。この子を、ボクレーと離れ離れになる道に向かって手を引くと決めてしまったから。
「ボク、きみにできることがあるんだ。聞いて、くれる?」
心臓が大きく鳴っている。
「ぼくのゲンガーは、きみを、ここから自由にできる」
どこへ、とは、言えなかった。
「ここにずっといるより、きっと、楽しいところに行けると、思う」
この子は自分よりもいくらか幸運だったと、オニオンは眉を下げて、笑顔を作る。この子はオニオンと違って、自分に降りかかった不運を覚えていないから。生きているように、旅に出られる。
『行ったことある?』
「ボクには行けないところ。けど、分かる」
男の子が抱くボクレーの口から、細く悲鳴のような泣き声が零れ落ちる。
『ボクレー、どうして泣いてるの?』
オニオンは口をつぐむ。ボクレーが男の子にしがみつく。
『泣かないでよ。ここ出られたら、また冒険しよう。ね?』
何も言えないオニオンに、ゲンガーが寄り添った。その冷えた温度は、オニオンが悲しい時、いつも側にいてくれる。
『ぼく、行くよ』
オニオンは安心とも寂しさともつかない息を吐く。それから、できるだけ、憧れの人みたいに笑おうとした。
「うん。良い旅をしてね」
『ありがとう!』
少年は切り株の下で快活に笑って、オニオンの手を取った。
続けて何か言おうとした、その、歪なボクレーの姿をした魂を、ゲンガーが、ばくり、と、飲み込んだ。
6
ボクレーを連れて、来た道を戻る。一緒においでとオニオンが誘ったら、付いてきてくれた。今は、オニオンと出会った時に弾き飛ばした仮面を拾って、両手で持ってくれている。
「戻ったら、カブさんとネズさんに謝らなくちゃね」
このボクレーのことも、なんて説明しよう。オニオンの足は重い。あの人たちに、誰かの不幸を知らせることがつらかった。きっと悲しむ。
俯き加減のオニオンの目にも見張り塔跡地が見えてきた頃、塔の側にシャンデラが揺れているのが分かった。オニオンに気付くと、一直線に飛んでくる。そのあとを追って、大きなシルエットも駆け出す。
「……ウインディ?」
自分の背中に隠れようとするボクレーを、「怖くないよ」と安心させる。ウインディが近づくにつれ、その背にウインディのあるじが乗っているのが分かった。
「あ……」
シャンデラに自分は大丈夫と伝えてもらったけれど、それで納得してくれる人ではなかったのだ。優しい人だから。
「オニオンくん!」
「カブさん……」
ウインディから転げ落ちるように飛び降りたカブが、その勢いのままオニオンを抱き上げた。バランスを崩したオニオンはカブの首に手を回す。
「わ、あ、あの」
『おかえり!』
オニオンの耳に聞こえたのは、知らない単語だった。カブの故郷の言葉だろうか?
「えっ? え……?」
カブはオニオンを地面にそっと下ろすと破顔した。
「無事に戻ってくれてありがとう。そういう言葉だよ」
◆
カブは、オニオンを再び抱き上げると、ウインディの背中に乗せてくれた。キャンプに来た時のように、鞍のようなものを取り付けたウインディは、オニオンが落ちないように気遣いながらゆっくりと歩む。カブはその隣で歩みを進めながら、ネズにスマートフォンで連絡を取っていた。ネズはキャンプで二人を待っているそうだ。
「ネズさん、平気、ですか……?」
電話を終えたカブに尋ねると、カブは指先で頬を掻いて、渋い表情。
「擦り傷はこしらえたけど、あとは元気なものだよ。今、救急隊の人からお説教されてるって」
カブはスマートフォンをマウンテンパーカーにしまうと、オニオンを見上げた。
「きみこそ、怪我はないかい?」
「は、はい……大丈夫、です」
「良かった。シャンデラくんが知らせてくれたから、あそこできみを待っていたんだよ」
肩の力を少し抜いたカブは、ウインディの柔らかな背に触れる。
「ごめんよ。ぼくがもっと、きみの話を聞いていれば良かった」
すまなそうに笑うカブに向かって、オニオンは、ぶんぶんと首を横に振った。
「ち、違います……! ボクが、勝手に飛び出したんです」
「だとしても、きみは悪くない」
カブはきっぱりと言うと、バトルの反省会をする時のような調子で続けた。
「きみがゴーストタイプのジムリーダーで、専門家だったことを失念していた。オニオンくんを子ども扱いしてしまったから、きっと、ぼくらに言いづらかったんだよね」
せめてジムリーダーとしては、対等な関係でいるべきだったとカブは唇を結ぶ。夜風がそのグレーの髪を撫でていく。
「それはぼくの責任でもある。ここから先は、ぼくらが預かるよ」
カブが真摯な目つきで微笑んだ。
「だから、何があったのか、聞かせてくれるかい?」
その誠実さに、オニオンは怯んだ。心がざわつくのに反応して、シャンデラがそっと高度を下げる。ゲンガーも、影の中から心配そうな目を向けてくれた。ウインディさえ、ゆっくりと歩みを止めてしまう。人を乗せるポケモンは、背中に預かる者の気持ちを汲み取るというけれど、本当だったのだろうか。
「あの……」
沈黙が気まずくて、言いたいこともまとまらないのに、焦って喉が震える。カブはそんなオニオンを柔らかく制した。
「きみの思いやりは嬉しいよ。でも……そうだね、ネズくんだったら、大人をナメないでください、って言うところかな」
似ていない声真似に、オニオンの眉が下がる。その反応を見て、カブの表情も柔らかくなった。
「なにか悲しい事が起きているのに、きみが抱え込んでしまったら、ぼくらが今日ここにいる意味がなくなってしまう。おじさんにも格好つけさせてよ」
カブは冗談めかして笑うと、オニオンを見上げた。澄んだ黒い目が、シャンデラの炎を受けて静かに輝く。オニオンが見送ったあの子と同じ色。
「大丈夫。受け止めるよ」
「……」
もう夜中だというのに、ひでりのようだとオニオンは思った。そうでなかったら、こんなに胸が暖かくならない。うまく言葉が出せないオニオンに、カブは少し考える様子を見せてから声をかける。
「オニオンくん。後ろいいかな」
そう言ってカブがウインディの背を軽く二度叩くと、ウインディは前脚を曲げて身をかがめる。オニオンの返事を待たず、すぐ後ろに騎乗したカブは、オニオンが形だけ持っていた手綱をそっと手繰った。それから身を乗り出してウインディの首筋を軽く叩けば、ウインディはさっきよりも早足になる。
「きっと、ぼくを見ない方が、話しやすいよね」
オニオンは俯く。伸ばした前髪が目に掛かるのを、影の中からゲンガーが現れて払ってくれる。小声で大丈夫かと尋ねられたので、返事の代わりに小さく微笑んだ。
「あ、ありがとう、ございます……」
背中にあるカブの体温と、心配してくれる親友がオニオンを勇気づける。囁くような弱い声で、オニオンは話しだした。
「あの……ネズさんを呼んでいたのは、この子じゃないんです。別の……ボクレーになりかかっていた男の子が、いて」
「……うん」
「それで、ボク、話をして……え、っと、その子は、ボクレーにはならなくて……その、ゲンガーが、送ってくれました」
オニオンは、少年とボクレーの事を、全てではないが話した。シュートシティに住んでいたジムチャレンジャーで、相棒のボクレーが大好きだったこと。歳は、自分と同じか少し上くらい。
「その子……何年も前、ジムチャレンジの途中だった、みたいです。続けたがっていました」
オニオンの体の前で手綱を握っていたカブの腕が硬直する。ウインディの足も止まった。
「カブ、さん?」
上半身ごとひねるように振り返ると、カブは無表情だった。何か思い出すように、彼方で伸びる巣穴の赤い光を見つめている。やがてカブは、その光の柱を見つめたままオニオンに尋ねた。
「その子は、ぼくが、メジャーに戻ったばかりだと、言っていなかったかい?」
オニオンは体をびくりと震わせて、その反応をした自分を責めた。折角、カブに黙っていたのに、驚いてたら伝わってしまう。
そうなんだね、と、カブは呟いた。
「ぼくはね。エンジンに来る未成年のジムチャレンジャーは、特に気にしているんだよ。ボクレーが相棒で、その年頃の少年なら、ぼくが復帰したてのジムチャレンジでうちに来るはずだった子だ」
カブがオニオンの前で、目を細めた。その目をオニオンは知っている。喪った人を思う時の目だ。
「そうか……」
主に合わせて足を止めたウインディが気づかわしそうにカブを振り返る。
「……きみが見つけてくれたんだね」
ウインディの首をごしごしと撫でたカブは、うん、と、頷くと、いつもの溌剌とした大人の姿に戻る。カブの相棒も、それを察してか歩みを再開させる。
「ありがとう! オニオンくんがいてくれて良かったよ!」
手綱を持ったままのカブの手が、オニオンの手を握る。あの子が知ることのなかった、カブの厚みのある暖かい手のひら。
(……悲しくても、笑ってくれるんだ……)
自分が受け取る柔らかい熱に、オニオンはたまらない気持ちになってしまった。
「ボク……」
「オニオンくん」
今夜初めて、カブはオニオンの言葉を優しく遮った。
「ゴーストタイプのポケモンくんとのやりとりは、とても難しいって聞いたことがあるよ。前任のゴーストジムリーダーからだ」
自分の体を通して、直接カブの声が響く。
「ゲンガーくんと二人、よく頑張ったね」
オニオンは自分が頑張ったとは思っていなかった。ただ、あるべきところに、あるべきものを返しただけだ。
「ぼくも、きみがその子を送ってくれたことを、嬉しく思うよ」
(……カブさんが褒めてくれたなら、よかったのかな……ねえ、ゲンガー)
なぜだか安心して、オニオンはようやく、自分がとても眠たい事を自覚する。ゲンガーは、まぶたが落ちかかるオニオンを見て、さざめくような笑い声を返してくれた。
「さあ、あとは大人に任せて、ゆっくり休むこと。もう日を跨いでしまっているんだ。分かるね?」
その声に返事をしたかどうかも、オニオンは定かでない。心地よいウインディの揺れとカブの体温に身を預けて、いつしか目を閉じていたから。
◆
すっかり寝入ったオニオンをテントに横たえ、カブは救急隊経由で警察を呼んだ。数年前の不明者の遺体があると告げると、ほどなく、うららか草原から警察車両が数台やってくる。ボクレーの協力を得て、亡骸と、身元を示す遺留品らしきものは見つかり、この時間だがシュートシティの保護者へ連絡が行くそうだ。当時の状況は、時間をかけて調べることになるだろう。
ボクレーはこの後、少年の家族に引き取り意志があるか確認を取るため、一旦警察で預かる事になった。警察官のボールに収まる時、オニオンの眠るテントを振り返っていた。オニオンが起きたら伝えなくてはいけない。
カブは水辺でかがみ込み、両手を合わせ黙祷する。ガラルにも祈りの作法はあるが、生まれ育った土地のやり方が、自分にはしっくり来るのだ。
七つ前は神のうち、と、いう言葉が、カブの故郷にはある。昔の子どもは七歳まで無事に育つことが少なく、すぐ神のところに戻る、という俗説だけれど、詳しい事をカブは知らない。ホウエンに、知らないままの事を多く残して、ここにいる。同じように、オニオンが見つけた少年が、神の御許へ向かったのだろう、その事実だけが今ここにあった。
ワイルドエリアでの死傷者は減少傾向にあるものの、ゼロになった事はない。スタッフが常駐しているし、可能な限りドローンや定点のカメラで安全確認に務めてもいる。けれど、それだけで、この豊かで恐ろしい自然を見通せるはずもない。
そう頭で理解していても、どうにもやるせない。ガラルではあまり信じられていない事だけれど、生まれ変わって幸せに、と、祈らずにはいられなかった。
目を開けたカブは、よっこらせと腰を上げる。警察には連絡先を伝えたし、検分が終われば、社会人としての責務を果たすのは日が昇ってからだ。ジムへ連絡するのは朝一番でいいだろう。
カブは、救急隊と警官の聴取から解放されたネズへ爪先を向けた。焚き火の側でキャンプチェアに腰かけたネズは、肩からブランケットにくるまって、ステンレスのマグに、どこかから取り出したスキットルの中身を注いでいるところだった。タチフサグマはネズの足元ですっかり眠り込んでいる。
まださほど近づいてもいないのに、カブの足音に気付いたネズが顔を上げる。
「この歳で説教されるとは思いませんでした」
そう苦笑するネズの額には、大きめの絆創膏が貼られていた。カブが隣にキャンプチェアを持ってきて座ると、カブの言いつけ通りにネズを見張っていたキュウコンが、やっと帰ってきたと、ウンザリした様子で尻尾を揺らした。
「倒れたのに動こうとするからでしょ! 仕事には障りなさそうかい?」
「数日様子を見て、違和感があれば診てもらうように言われました」
ネズは目をすがめ、キバ湖を見た。その、夜に浮かび上がるような白い肌を、警察車両の回転灯が撫でていく。
「……カブさんを巻き込んじまって良かったのか、考えてました」
「良かったよ! 当たり前じゃないか」
カブは、後悔に歪むネズの横顔を見る。この若者はいつも背負いすぎる。自分のせいではない事まで、その方が面倒でないから、と、自分のせいにしてしまうのだ。それで傷がつくのは自分の癖に、そっちについては無頓着なふりをする。
「きみが声をかけてくれたおかげで、オニオンくんをひとりにしなくて済んだ」
ネズからの誘いは突然だった。ジムのヒトモシを連れ出したオニオンがそろそろ戻る頃だと待っていると、仕事用のスマートフォンに着信。緊急事態かと身構えたら、
『訳を聞かずに、この後、オニオンと楽しい事してやってくれませんか』
と来た。カブが仕事中に私物を持ち歩かないため、仕事用の連絡先にかけてきたようだった。
ネズは今エンジンシティのスタジオでレコーディング中で、気晴らしにレコード屋にいたという。そこでオニオンを見かけたが、寂しい様子が気にかかったそうだ。
『おれじゃダメなんですよ。あいつに怖がられてますから』
「こら、いつもの悪い癖」
自嘲するネズを軽く注意してから、カブは数秒考える。他人に干渉しすぎないネズが連絡するほどなら、オニオンにも、それなりの何かがあったと見て良い。
「そうだね……彼、ワイルドエリアに行きたがっていたから、キャンプにしようかな。きみも言い出したんだから、おいで」
嫌がるかと思ったが、案外すんなりと「わかりました」と返ってきた。
『それなら、おれを口実に使ってください。この後音楽の方で取材があって、終わり時間がハッキリしねえんですけど……片付き次第合流します』
そして電話を切ったところで、入れ替わりにオニオンがジムに戻ってきた。
カブの視点では、こういう顛末になっている。
「あとは年寄りが矢面に立つから、任せなさい」
ネズもオニオンもマスメディア対応に難がある。カブは救急と警察には、報道するなら自分の名前だけ出して欲しいと伝えた。野生のボクレーと遭遇したが、元の主人がいたことが分かった、という形で。
オニオンがこの筋書きを望むかは分からないが、若い友人たちが面倒に巻き込まれないよう図るのが自分の役割だ。
「おれも、できることがあれば手伝いますよ。こっちのことは、いくら雑に扱ってもらっても平気ですから」
「そういうところ! オニオンくんが真似したら困るんだよ。ねえ、ゲンガーくん」
ネズの足元へ声をかけると、ネズの影が、慌てたように波打った。
「いやがったんですか」
どうりでさっきから寒いはずですよ、と、ネズはマグをぐいと煽った。
「まさかきみ」
カブが尋ねると、ネズはスキットルを放ってよこした。
「何もなければ、オニオンが寝た後に二人でやろうと思ってたんですよ。暖を取るんで、お先にいただいてます」
軽くキャップを捻るだけで、独特のスモーキーな香りが鼻腔をくすぐる。モルトウイスキー、それも、ご丁寧にカブが愛飲している銘柄。カブは渋面を作ってネズにスキットルを投げ返す。
「もう一度お説教が必要だったかな」
片手で受け取り、勘弁してくださいと首を引っ込めるネズを見て、ゲンガーがネズの影から飛び出して、声を上げて笑った。
「というか、おまえ、どうしたんです? オニオンに何かあったんですか」
ネズが話の矛先を逸らすと、ゲンガーは、短い手足を目一杯使ったジェスチャーで、「オニオンがぐっすり眠っていて暇である」と伝えてくれた。オニオンにはウインディもつけているし、シャンデラもテントの側にいる。見張りは充分だということか。
周囲の忙しない状況に赤い目をキョロキョロさせるゲンガーを、カブは手招きした。ゲンガーはカブの目の前で、焚き火を背にし、地面に足を投げ出して座る。
「ねえ、ゲンガーくん。オニオンくんをいつも助けてくれて、ありがとう」
オニオンの話を聞いていると、このゲンガーは、気ままなようで、どうやらオニオンを守っているようなのだ。普段からボール嫌いでオニオンの影に潜むのも、縄張り以外での野宿を嫌うのも、オニオンに何か起こる事を嫌がってのことだろう。ネズが倒れた時も、真っ先にオニオンを守る動きを見せた。
オニオンが出会った時からゲンガーであれば、相当の長生きと見て良い。そんな個体が、ただわがまま勝手に振る舞うはずがない。
「おまえ、オニオンには言わないつもりでしょうけどね。おれたちの目はごまかせねえですよ」
「ネズくんは、ゲンガーくんと相性がよさそうだね」
確かに、と、ネズは肩を揺らす。ゲンガーも、こいつは面白いやつだと言うような目つきでネズをじろじろ見る。カブの近くで大人しく座っていたキュウコンが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ゲンガーくん」
オニオンとゲンガーたちの結びつきは、カブたち周囲の大人が口を挟めるほど浅くない。オニオン自身は、きっとその繋がりを何より重んじるだろう。それでもと、カブは考える。
思慮深さと思いやり、ポケモントレーナーとしてのプライドを持つ少年が、その魂を明け渡すのは遠い未来であってほしい、と。
「よければ……これからも、オニオンくんを助けてあげて欲しい。お願いできるかな」
「これでも、おまえのこと、それなりに信頼しているのですよ」
ネズも、表情は凄味をきかせたままで言う。
ゲンガーは声をあげて笑うと、大人たちに向かって宙返りをして、オニオンのところへ戻っていった。
「さて、どうなんでしょうね」
面白そうにゲンガーを見送るネズに向かって、カブは微笑む。
「分かってくれたと思うよ。ぼくも、少しオニオンくんを見てくるね」
立ち上がって数歩歩いたところで、ネズに名前を呼ばれた。
「白状すると、おれ、うまく誤魔化して、こもれび林までは、行ったんです。カブさんと逆回りで」
「……きみねえ」
それは救急隊と警察から大目玉を食らうはずだし、キュウコンも不機嫌になるわけだ。呆れて振り返ると、ネズは、どこか寒々しい目つきで、キバ湖の向こうを見つめていた。
「声はね、聞こえたんです。オニオンたちの。でも、音の位置には誰もいなくて。その内あちらの女帝がしたたか尻尾で叩いてくるので、おとなしく戻りました」
ちらとキュウコンを見やったネズは、でもね、と、低い声で続ける。
「おれが聞いたのは、オニオンと、ゲンガーと、ボクレーが2匹なんです。オニオンが言うような、子どもの声じゃないんですよ」
ネズの視線がゆっくりと動き、カブを捉えた。
「おれたちを置いていったオニオンは、正しかったと思いませんか?」
7
ワイルドエリアでカブたちとキャンプをした夜から半月ほど経ったある日。
あの日と同じような夕暮れ時、オニオンはカブに呼び出され、再びエンジンシティを訪れた。着替える時間がなかったオニオンは、ユニフォーム姿のまま、そらとぶタクシーの運転手に料金を支払っている。
エンジンシティの長い階段前から、夕陽に黒い体を輝かせ飛び立つアーマーガアを 見送ったオニオンは、ワイルドエリアを振り返った。草地はオレンジ色に凪ぎ、湖水も夕暮れにきらめいている。オニオンが入り浸る遺跡や墓地と同じように、どこか物寂しい美しさだった。
階段を上る前にゲンガーをダークボールから出してあげると、大きく伸びをして、窮屈だった、とお決まりの文句。普段からボールを嫌がるゲンガーが乗り物ではボールに入るのは、二人の決め事だ。
影に溶け込む親友を見届けてから、オニオンは仕事用に持つスマートフォンでカブに「着きました」とメッセージを送信して、広く長い階段を上がりきる。
ポケモンセンターの側で水浴びするアママイコのダンスを目で追っていると、カブから返事が届いた。
『待っているよ』
カブは、メッセージアプリでは口数が減る。操作がおぼつかないそうだ。ロトムを入れたらいいとキバナから提案されて、あんまり使わないからロトムくんが可哀想だと断っていたのを聞いたことがある。オニオンも自分のスマートフォンにはロトムを入れていない。スマートフォンにインストールするぐらいなら、一緒にバトルコートで遊ぶ友達を選びたい。
「オニオン! 待って!」
スマートフォンをしまって歩き出したオニオンに、背後から声がかかった。
振り返ると、半月前、ちょうどこの辺りで出会った男の子と女の子だった。手を振ってオニオンに駆け寄ってくる。
ゲンガーが飛び出そうとするのを、オニオンは首を振って制する。前に仮面を外されそうだったのを思い出し、無意識に仮面をおさえていると、子どもたちはオニオンの前で、せーので「ごめんなさい!」と謝った。
「……?」
オニオンの手が仮面から離れた。
「あのね、悪口言って、ごめんなさい」
「え……?」
この前言われたような悪意のないからかいは、紙で手を切ったことに気付かないように、後からオニオンに向かって痛みを訴える。言った側は気にも留めないし、オニオンも、その場はボンヤリ笑って済ませてしまうことが多かった。
だから、その傷について、謝罪されたのは初めてだった。
「ボクらが驚かせたからゲンガーが怒ったって、ネズが」
「……ネズさん?」
どうしてそこでネズの名前が。オニオンが疑問の声を上げると、女の子が、男の子を慌てて遮った。
「わあ、ダメだよ、オニオンにはナイショって」
「あ、あの……」
どうして自分には秘密なのか知りたい。オニオンは、二人の子どもたちを怖がらせないように、ゆっくり尋ねる。
「ネズさん、きっと、怒らないから……教えて……ほしいな」
子どもたちは顔を見合わせる。口火を切ったのは男の子だった。
「あの日ね。オニオンのことを二人で怖がってたら、ネズがぼくらの所に来て、全部聞いてましたよ、って言うの」
「ネズ、オニオンのゲンガーより怖かった」
「怖かったね」
子どもたちは、顔を見合わせて体を縮こまらせた。オニオンは仮面の下で、瞬きも忘れている。
あの場面をネズが。
そういう人じゃないと信じているけれど、もし、ネズからカブの耳に入っていたらどうしよう。同情されていたら。心臓がしめつけられるような心地がした。
不安を仮面の下に押し込めて、子どもたちに意識を戻す。
「それで、もしオニオンが許してくれたら、ちゃんと聞いてみてって言うの」
女の子がそう言って、ワンピースの裾を握ると俯く。男の子が後を引き継いだ。
「その時の、オニオンの答えが本当ですよって。それで、そのあとアイス買ってくれた」
「……そう、だったんだ……」
オニオンには、許すも許さないもなかった。そもそも怒ってもいない。悲しいけれど、怒るほどでもないことと分かっている。
けれど、オニオンの仮面の下を知らないこの子たちは、不安なはずだ。あの夜、表情の分からない男の子と話した時、自分がどれだけ優しい大人に甘えていたか分かった。聞かれるのを待っているだけじゃなくて、自分が言葉にしないと伝わらない。
「え、っと……ボクは、怒ってない、から……」
気にしないで、と言おうとしたけれど、それも少し違うような気がして、優しい大人たちがオニオンへ言ってくれる言葉を付け足した。
「ネズさんのお話、教えてくれて、ありがとう」
友達の誤解を解くきっかけを作ってもらったなら、無駄にしたくなかった。
「ゲンガーは、とっても、大事な友達だし……これは、ボクが、人前で取らない、だけで、呪ったりしないから」
オニオンは仮面に伸ばしかけた手を止め、ユニフォームの胸元を握りしめた。やっぱり、顔を晒すのは怖い。
「この前は、ゲンガーがおどかしちゃって、ごめんね」
ゲンガーは自分を守ろうとしてくれたと分かっている。けれど、オニオンより小さい子を怖がらせたのは、いけないことだ。
「ううん。今度試合するときは応援するね」
「あとね、わたしたち、ネズに言い忘れたことがあるの」
子ども達からネズへの伝言を預かり、オニオンは小さく手を振って二人と別れた。
「よかったね、ゲンガー」
親友に囁いて顔を上げ、オニオンはびくりと肩を震わせた。
「……おや」
「ネズ、さん」
レコード屋から出てきた私服のネズと鉢合わせた。今日のネズは全体的に黒い色の服で、サングラスをかけている。
「こんにちは。おまえもカブさんの呼び出しで?」
気まずさをおぼえながら、オニオンはこくこくと頷く。
「一緒に行ってもいいですか」
「あっ、あの、はい……」
ネズは、どうも、と言って、オニオンに歩幅を合わせて歩き出した。そのネズをこっそり見上げる。
怖い人ではないと分かっても、あの子たちから預かった伝言を、どう切り出せばいいのか分からない。自分がからかわれた所を知られているのも、オニオンの口を重たくした。
うつむくと、足元からため息。瞬き一回の間に、ゲンガーが、見てられないと、オニオンとネズの間へ割り込むように現れた。ゲンガーは、心配するなとオニオンの背中を叩いてから、ネズの黒いニットジャケットの裾を引き、話があると言う。
「どうかしましたか?」
ゲンガーの言葉は分からないはずのネズが、ネズの服を引っぱるゲンガーではなく、オニオンを見た。
「あの……」
「はい」
オニオンは仮面の下で唾を飲み込む。
「その、ネズさんに、伝言があって……アイスありがとうって」
それを聞いて、ネズは少し眉を寄せた。やがて、ああ、と合点がいった様子で声を上げる。
「あの子たちですか。おれの話に付き合ってくれた礼だから、別によかったのに……それで、どこまで聞きました?」
ネズの声には棘も角もなくて、まるで昨日の食事を尋ねるように、なんでもない口調。
「ぜ、全部……です……すみません……」
縮こまるように謝ると、ネズはなんでおまえが謝るんです、と、苦笑いした。
「おれも昔はああいう目に遭ったので、他人事ではなかったのですよ。話し合いで済んで良かったです」
ネズはオニオンが驚くほど、いつも通りだった。オニオンを可哀想がるでも、同情するでもない。本当に自分の代わりに怒ってくれただけなのかもしれない。
黙っていた方がお利口さんだと思う。でも、この胸の重さを抱えていられなかった。
オニオンは利き手でサスペンダーに触れる。
「あ、あの……ほ、他の人に……」
自分が思うより声が震えて、喉に引っかかる。続く言葉をなんとか絞り出そうとしていると、ネズが緩やかに首を振り、オニオンの言葉を先回りした。
「おまえのプライドに関わることです。家族に誓って、誰にも言っていません」
ネズがサングラスを外し、猫背をもっと丸めてオニオンと視線を合わせた。光の加減で緑にも青にも見える不思議なネズの目は、決して、オニオンを子ども扱いしていなかった。
「不安にさせたね。謝ります」
オニオンは首を横に振った。
ネズを敬遠していたオニオンが、子どもたちのからかいを受けた後で、まともに話せたか? 無理だ。きっと逃げてしまったと思う。ネズはきっと、それを分かっていた。だから、オニオンではなく、あの子たちを探したのだ。
「ほんとは、ボクが、言わなくちゃいけない、のに」
うつむくオニオンの罪悪感を、ネズは、何を言ってるんですか、と、呆れた調子で笑い飛ばした。
「苦手なことを無理してやる歳じゃねえでしょ。あんまり若い頃から無理すると、おれみたいになっちまいますよ。そうなったら、おれがカブさんに叱られます」
ゲンガーがケタケタと笑うので、ジョークだと気が付く。オニオンがなにか言うべきか迷っていると、ネズが続けた。
「もし、嫌なら教えてくださいね」
「い、いいえ……あの、ありがとうございました」
「とんでもない。おれこそ、許してくれてありがとう」
ゲンガーが、面倒な人間たち、と言いながらも、満足そうに頷いた。
それきり三人は無言だったけれど、ネズの沈黙は不思議と穏やかで、オニオンが、話題を探さなくちゃ、とか、機嫌を損ねただろうか、とか、不安に駆られることはなかった。
今まで、オニオンは、ネズをオーロットのような大人だと思っていた。自分のテリトリーに身を寄せる人たちのため、折れそうな枝葉を目いっぱい伸ばして風雪に耐えている、外に対してとても厳しい人だと。
そんなネズが縄張りの外からも慕われる訳を、オニオンは分かった気がした。黙って隣にいてくれるだけで、自分の存在がまるごと「ここにいていい」と思える。それは、カブの暖かさとは種類の違う優しさを、ネズが持つからだ。
昇降機の側までやって来た時、ネズが誰に言うともなく口を開く。
「しょうもない噂を本気にされて、通りがかりに絡まれるってこと、この稼業だと良くあるんです。他のジムリーダーもそうです。おれなんか、面と向かってド……」
何か言いかけたネズは、はたと言葉を切って咳払いをした。
「法に触れることをしてるだろう、なんて、言われたこともあります。昔は、手持ちやホームまで悪く言われるのが怖くて、愛想笑いしてましたけど」
どうぞ、と、自然にエスコートされ、昇降機の鉄板に足を乗せる。
「バカバカしくなっちまったんですよね。おれを勝手に決めつけて、その通りでいて欲しいような相手に、なんの気遣いが必要です? いりませんよね」
ネズの口から、挑発的なせせら笑いがこぼれる。カブが聞いたら困った顔になりそうだけれど、ゲンガーは手を叩いてネズを囃している。子どもたちにからかわれた時、ゲンガーも似たようなことを言ってオニオンを慰めようとしてくれたのだ。
ネズはゲンガーにカーテンコールの役者じみた一礼をして応えてから、片方の眉をあげてニヤリと笑う。試合でよく見せる不敵な笑顔だ。
「この話、あの人には内緒ですよ、オニオンくん。分かるね?」
カブの口調を真似るネズ。カブも同じようなことをしていたけれど、二人とも相手の真似が下手で、思わず口元に手を当てて笑ってしまった。
「分かりました」
「いい返事です」
オニオンは、手すりに掴まって少し背伸びする。ゲンガーも手すりに乗り上げ、隣で体を揺らしている。ふたりは、昇降機から歯車と蒸気の街を望む瞬間が好きだった。
ネズが操作盤から離れると、ほどなく、ぐい、と体が浮き上がるような感覚。歩いてきた見慣れた石畳、建物のバルコニーでくつろぐポケモンたちが、あっと言う間に眼下へ置き去りになる。隣のネズは手すりに軽く手をかけ、サングラスごしの目を眩しそうに細めていた。
「おれ、他のできた大人と違って、隣にいるしかできませんけど」
昇降機が止まる。ネズはオニオンの背中を支えてくれた。入った時のように自分をエスコートしてくれるネズが、子守歌でも歌うような調子で言う。
「それでよければ、誰かにいてほしい時におれを呼ぶというのも、考えてみてください。おまえの呼び出しなら歓迎しますよ」
◆
「やあ、わざわざごめんよ」
ユニフォーム姿のカブが、火山に似たデザインのバトルコートで、オニオンとネズを出迎えてくれる。センターサークルの中で、三人は半月ぶりに顔を合わせた。
少し離れたところでは、トレーナーたちが撤収作業を続けていた。今日は公式戦のない日で、ジムではトレーナーたちが練習試合をしていたらしい。
「メッセージでも書いたけど、あの子のことで、報告と、相談があるんだ」
あの日のことは、オニオンが起きた頃にはあらかた終わってしまっていた。オニオンが見送ったことは秘密にしたけれど、あの子は家に帰れそうということと、ボクレーは一旦警察で預かることになったことは、カブが教えてくれた。それから、「身元がわかったら、教えたほうが良いかい?」と、尋ねられた。オニオンは、それを断った。
ジムリーダーの権限で試合のアーカイブを遡れば、あの子がどんな顔で、どんな名前か知ることはできた。けれど、それもしなかった。あの子については、オニオンが聞くべきと思った時、相応しい相手から教えてほしかったから。
「まず……彼のご葬儀が済んだ。警察の人経由で許可を貰って、ぼくの名前で、お花とお悔やみを送らせてもらっているよ」
「よかった……です」
あの子の長い迷子が終わったのだ。オニオンの表情がほころぶ。
「ありがとうございます。そういう気遣いは、カブさんじゃないと無理でしたね」
サングラスを外したネズも隣で頷いている。確かに、自分ひとりだったら、警察に知らせたり、大人とのやりとりはできなかったかもしれない。
「それで、相談っていうのは?」
「警察から、これを。なにかあれば、ぼくに預けてくれとお願いしていたんだ。戻ってこなければいいと、思っていたんだけどね」
カブはモンスターボールの中央をカチリと押した。
「……どうしても、お家に入れて貰えなかったそうだよ」
ボールから現れたのはボクレーだった。知らない場所で緊張しているのか、せわしなく周囲を見ている。
オニオンは、仮面の下でぐっと唇を結んだ。あの子のおうちでは、やっぱりゴーストタイプのポケモンは受け入れられなかったんだ。
「ダメでしたか」
そう言ったネズも、どこか悔しそうだった。
「うん。ご子息が相棒にしていたと言っても、やっぱり気持ちの整理がつかないよね」
「状況が状況です。頑なになるのもしょうがないですね。ノーと言ってもらっただけ、まだマシです」
大人たちの会話をよそに、オニオンはボクレーに声をかけた。
「ボクレー、こんにちは」
首をかしげるボクレーに、自分はここにいると手を伸ばすオニオン。
「ボクレー?」
そこにゲンガーが影から現れて、オニオンの仮面を奪い取ってしまった。
「あ! か、返して……!」
素顔を両手で隠そうとするけれど、オニオンの顔を見た瞬間、ボクレーが泣きながら突進してきた。素顔を晒したオニオンの方が印象に残っていたのか、仮面をつけたままだとオニオンだと確信できなかったようだった。
オニオンは、ボクレーを抱きとめて頬を寄せる。角のように伸びた枝に萌える木の葉が、顔を撫でて少しくすぐったい。
「……寂しかったよね。怖かったね」
大好きな友達を喪ったボクレーに、いつかの自分が重なる。
「もう、大丈夫」
オニオンの紫に輝く瞳を、幼いボクレーの目がのぞき込む。
「ボクのところに、おいで。ボクレーが嫌じゃなければ、だけど……」
もしボクレーが人と暮らすことを拒むなら、ルミナスメイズの森が受け入れてくれるはずだ。それでも、一緒に来てくれたら。オニオンはそっとボクレーに指を差し出す。
ボクレーは、オニオンをじっと見つめたまま、オニオンの指を冷たく小さい両手で包んだ。
「……ありがとう」
自分の差し出した手を取ってくれたことが嬉しかった。大人たちがことあるごとにオニオンへ礼を言ってくれるのも、こういう気持ちだったのかもしれない。
そんな大人たちはいつの間にか話をやめて、オニオンとボクレーを見守ってくれていた。オニオンは、ボクレーを抱きなおすと、自分の顔の前に持ってくる。抱き上げたボクレーで顔を半分隠して、オニオンは大人たちに宣言した。
「この子、ジムで引き取ります。準備も、できているので……」
幼いオニオンの代わりにジムの色々を引き受けるスタッフたちも、カブを通じてオニオンが助けたボクレーの事は把握していた。今日、もしかしたら引き取ることになる、と相談したら快く承諾してくれて、その受け入れの支度を手伝っていたら、ジムを出るのが遅くなってしまったのだ。
「そうですね、おれはそれが良いと思いますよ」
「ぼくも、オニオンくんが引き受けてくれるのが一番嬉しいけど……いいのかい? ジムの預りで」
暗に、オーナーをオニオンと定めないのかという質問に、オニオンは頷く。
「誰と生きるのか、ボクレーに、決めてほしいんです」
ボクレーが再び誰かを友とするなら、それがオニオンでなくても構わない。ジム預かりにするのは、ボクレーの選択肢を残すためだ。
オニオンは、自分の腕から頭上の会話を懸命に聞くボクレーの顔を、指で軽く撫でる。
「まだ、教えてなかったね。ボクのこと」
自分に注目したボクレーから手を離す。ボクレーはオニオンの顔の前でふわふわと漂った。
「ボクの名前は、オニオン」
ゲンガーから仮面を受け取って再び顔を覆ったオニオンはボクレーに向き合った。両手をゴーストの手のように、顔のそばで揺らす。
「ラテラルタウン、ゴーストタイプのジムリーダー、だよ」
オニオンがジムリーダーだと知ったボクレーは、尻尾をピンと伸ばすと声を上げて驚いた。オニオンはいたずらが成功したような気持ちで、ゲンガーと目配せする。
大人たちも、オニオンが名乗ったことで、それぞれボクレーに挨拶をしてくれた。
「どうも。おまえのご主人に間違って返事した間抜けです。ネズと言います」
「ぼくは、ほのおジムのカブ。あの日は挨拶もせず、失礼したね」
カブの名前を聞いて、ボクレーはオニオンを振り返った。あのカブか、と、オニオンに尋ねてくる。
「うん。この人が、カブさん」
あの子が会いたがっていた、憧れの人。けれど、ボクレーはカブとオニオンを交互に見て、本当かとオニオンへ首を傾けて見せた。メジャーリーグ復帰以降のカブを知らないボクレーは、当時と今のカブが結びつかず、目の前のカブを同名の別人だと思っていたらしい。
「えっと……人間は、時間が経つと、見た目が変わるから……」
しどろもどろのオニオンを見て、大人たちもボクレーが何に戸惑っているのか分かってくれたらしく、相好を崩した。
「オニオン。そこは年を取ったって言っていいんですよ」
「間違いなく、ぼくが、そのエンジンシティのカブだよ。見た目はジジイだけど、まだまだバトルは衰えていないからね!」
そう言って、カブは拳を握って見せた。ボクレーはもう一度オニオンを振り返る。丸い目をぎゅっと勇ましくつり上げ、オニオンへ向かって声を上げる。
「……本当に? やりたい?」
やりたい、と、ボクレーは答える。
「わかった」
オニオンは答え、カブに向き直った。ガラルの中では小柄とされるカブでも、自分より背が高い人だ。見上げると背中がすっと伸びる。
「カブさん、あの……お願いがあります」
改まった調子のオニオンに、カブも首のタオルから手を離し、少し屈んで視線を合わせてくれる。
「来月、ヒトモシのお世話にまた来ます。その時、この子と、試合をしてください」
「ボクレーくんと?」
「はい。カブさんは、ジムチャレンジャー戦のメンバーで……お願いします」
カブの眉が動いた。
「……そうか。そうだね、いいよ。やろう!」
自分がカブと試合をして、何になるのかは分からない。けれど、他ならないボクレーが、やりたいと言ったのだから、助けたい。
聞くべき時と、聞くべき相手が揃った。オニオンはボクレーに許可を求める。
「ボクレー。あの子のこと、色々、教えてね。戦い方とか……」
両手を顔の側で、ぐっと構えるボクレー。了承してもらえた。
「あの」
ネズの声が、オニオンとカブに割り込んだ。
「盛り上がってるところ恐縮なんですけど、二人ともおれのこと忘れてません?」
拗ねますね、と、ネズは真顔でジョークかどうか分かりにくいことを言う。
「ごめんごめん! きみにはお客さんとして来てもらうつもりだよ!」
オニオンも頷く。ネズはいつもの眠そうに下がる瞼のままカブを横目に見やってから、オニオンに笑いかけてくれた。
「きみの試合を間近で見られるのは、光栄ですね。ありがとうございます」
「大きなエレズンくんのご機嫌は治ったかい?」
「試合の時にホットドッグ奢って貰えるなら、治ると思いますよ」
「ソフトドリンクもつけよう」
「それは最高ですね。ウキウキです」
あのキャンプの夜のような冗談のやり取りに思わずオニオンの頬が緩む。温かい日差しのような優しい人と、夜に誰かがかけてくれるブランケットのように優しい人。
自分といてくれたのが、この人達で本当に良かった。
「そうだ。試合が終わったら、またみんなでキャンプしたいね」
「いいですね。今度はおれもちゃんと支度して、楽器も持って来ましょうか。あと花も」
カブは人懐こく笑って、ネズはいつもより面白そうに眉を上げて。そうして、どうする? と尋ねるように、二人の大人はオニオンを見る。
オニオンは両手を胸の前で握って、大人たちに答えた。
8
ボクレーと一緒に、カブとの大切な試合が終わった夜。試合のきっかけになった日と同じく、オニオンは、キバ湖のほとりにいた。カブと、ネズも一緒だ。
今回は示し合わせて準備もしてきたので、三人ともキャンプに向いた服装で、テントはカブとネズの持ち込んだ二張り。オニオンはシュラフだけで良いと言われたけれど、古いシュラフは小さくなっていたので、新しいものを買った。今夜はカブのテントにお邪魔して寝ることになっている。
持ち寄った食材で、ポケモンたちも交えてにぎやかにカレーライスを作ったり、カブの持って来たボールで湖の周りを遊んだり。三人の連れてきたポケモンたちは、沢山遊んで沢山食べて、大半のポケモンがまどろみの中にいる。特に、試合の主役だったボクレーは緊張が解けたのか、食事が終わるなりウトウトしてしまったので、ボールに戻していた。
今、新しくおこした焚き火の側で寛ぐポケモンは、それぞれ、ゲンガー、キュウコン、タチフサグマの三匹だけ。
大人たちは前回に輪をかけて、オニオンを楽しませようとしてくれていた。楽しいふりは苦手だけれど、まじめなカブと、少しやんちゃなネズの掛け合いも、ふたりのポケモンと触れ合うのも、本当に楽しい時間だった。
「……気になっていたんだけど。ネズくん、どうしてあの時、素直に戻ったんだい」
ふと話の途切れた時、出し抜けにカブが尋ねた。
あの時、というのは、最初に三人でキャンプをした日のことだ。オニオンがボクレー達と一緒にいるところに、ネズが探しに来たと後で聞いた。
「きみにしては、随分と聞き分けがいいと思ったんだけど」
「ああ。あなたのレディが、なにもしなかったからですよ」
左手でアコースティックギターのネックを抱えたネズはさらりと言ってのけ、何かのフレーズを爪弾いた。ネズはさっきから、話す途中や話を聞きながらでも、何かしらギターを鳴らしている。
「オニオンがまずい状況なら、彼女、必ず動くでしょ。でも、おれをそこから引き離す方を選んだ。それなら、従う方がベターだろうと」
それだけです。ネズはそう言って、キュウコンに手を振った。キュウコンは、まだネズを許していないのかツンとそっぽを向いてしまう。
「キュウコン……ゴーストタイプのこと、分かるんですか?」
オニオンもつられてキュウコンを見る。キュウコンは、オニオンに向かって優雅に九本の尻尾を広げてくれた。扇のように広がるそれは美しく、カブに愛されていることがよく分かる毛並みだった。
「この子とウインディは、おくりび山っていうところで仲間になってくれたんだよ」
「おくりび?」
知らない言葉に首をかしげるオニオン。カブは、揺れる焚き火を見つめた。
「ぼくの故郷で、亡くなった人やポケモンくんの魂を見送る為に灯す炎のことだよ。おくりび山は、ポケモンくんたちの墓地でもあるんだ」
「お墓……」
もしかしたら、カブの友達も眠っているのかもしれない。
「そう。そういう場所で生まれたからか、『それ』が悪いものかどうか、分かるみたいなんだ」
都市伝説やネットロアの類だけれど、キュウコンをはじめ、じんつうりきを覚えるポケモンたちは、人間には分からない物を見通すことが得意と言われる。ゲンガーがキュウコンのことを苦手そうにしているのも、キュウコンが厳しそうなお姉さん、というだけではないのかも。
「そうだ、おくりび山には、ガラルにいないゴーストタイプのポケモンくんがいてね」
カゲボウズという、ゴーストタイプのポケモンがいると、カブは教えてくれた。家の軒先にぶら下がり、その家に住む人の妬みや恨みの感情を食べるそうだ。オニオンは、わあ、と声を上げた。
「良い子、ですね……!」
「良い子」
ネズがオニオンの言葉を興味深そうに繰り返した。その長い指が首元で踊る。今日は外しているけれど、いつも着けているチョーカーの飾りがある辺りだ。なにか考える時、ネズはよくチョーカーを触っている。
「ああ……確かに、見方によっては優しいやつですね。オニオンが言いたいのは、カゲボウズの食事がムシャーナと同じじゃないか、って事でしょう?」
オニオンは頷く。ムシャーナの食べる悪夢のように、食べられた恨みは本人から消えてしまうと思っていた。カブの方は腕組みをして、うーん、と、考えている顔。
「あ……えっと、違うんですか?」
「今調べたら、そういう個体もいるみたいですけど」
ネズはスマートフォンのブルーライトに照らされる顔をカブに向けた。ネズも、ロトムをスマートフォンに入れていない。プライベートなデータが入る物を誰かに触らせるのが嫌いだと言っていた。
「実際のところ、どうなんですかね」
カブは、ごめんよ、と、申し訳なさそうに目を細めた。
「実は、カゲボウズくんとは縁がなかったから、図鑑以上のことは分からないんだ」
次までに勉強しておくね、とカブは請け合ってくれる。カブは、分からないことを誤魔化さず、分からない、と言ってくれる。オニオンは、そんなカブの姿も尊敬していた。
ネズがスマートフォンをドリンクホルダーに差し込んで、薄く笑う。
「それより、ホウエンのリーグと交流戦したら良いじゃないですか。あっちの四天王には、ゴーストタイプのトレーナーがいるって聞いてますよ」
「え……! 強い人、いるんですか!」
異国のトレーナーは、どういうポケモンと一緒なんだろう。さっきのカゲボウズとも友達だろうか。
「会ってみたいな……」
かすかに口からこぼれる気持ちを、ギターをキャンプチェアに立てかけたネズがキャッチした。
「オニオンだって、ほら。興味がある顔してるじゃないですか」
カブが、そうだねえ、と、焼いた木の実を取り分けながら答える。
「ぼくが現役のうちには、やってみたいよね。ただ、ローズさんの時には、あまり色良い返事が貰えないままだったんだ」
「そう、なんですか……」
しょんぼりするオニオンへ、カブが焦げ目の付いたチーゴやオレンの乗った深皿を手渡してくれる。
「諦めたわけじゃないよ。でも、ぼくの……なんて言うのかな……わがまま、みたいな物だから。あまり熱心に進めるのも、少し違う気がしていてね。縁があれば、と、ずっと温めてはいるんだ」
オニオンは上着のフードをかぶってから仮面を外す。ゲンガーが、膝に置いた仮面をパッと取り上げて自分の頭に乗せた。やりたいようにさせて、少し息を吹いてからチーゴを頬張る。思ったより熱い甘さが口にあふれた。普通に食べるより甘みが際立って美味しい。ゲンガーにも、よく冷ましてから分けてあげると、体を弾ませて喜んだ。
「大丈夫ですよ。今の委員長様なら、ガラルのトレーナーも強くなる、って言っておけば、出すもの出しやがるでしょ」
やたら棘のある声で言うネズは、かぶりついたオレンの実から零れる果汁を腕で拭う。匂いにつられたタチフサグマが、座ったままでネズの膝に頭を乗せて、その腕を舐めている。
「きみ、彼と何かあったの?」
「あの時ですよ。王族の末裔がどうの、って。謝罪ツアー大変だったんですから。ダンデのやつ、自分で目付だって言っておいて、ちょっと目を離したら消えやがって」
でけえ図体の子ども3人も、面倒見きれるかってんですよ。唸るネズの目は据わっている。
オニオンは思い当たった。何か月か前のこと。ネズが、ネズより個性的な髪型の二人組を伴って、ダイマックス事故について謝りに来たのだった。
謝りに来た二人はネズより歳上に見えたけれど、とても元気な小さい子のようで、ネズの方がヘトヘトに見えた。ダンデはいなかったと記憶している。
自分のミミッキュやヤバチャがはしゃぎ回る時のことを思い出して、オニオンは心の中でネズを労った。
ネズはカブが差し出したウェットワイプを受け取り、タチフサグマが舐めたところを拭く。そうして、ウチじゃねえんだから、と、タチフサグマの鼻先を軽く指で突いた。
「あの野郎、味をしめたのか、あれ以来、おれのこと呼び出しては面倒を押し付けて……ああ、すみません」
ネズは片手をあげて詫びた。
「おれの愚痴より交流戦の話ですよ。前の委員長とは、どこまで交渉できてんです?」
「そうだねえ」
カブは、口頭での要望と企画書での提案を何度か行ったけれど、結局返事がないまま委員長が代わってしまったと言う。
「企画書はまた起こすつもりだけど、どうだろう。今の委員長くんには直談判が早いかな? 試合の後にでも声をかけてみようか」
「必要なら、おれがすぐ繋げられますよ」
ネズが、わるだくみをするように笑った。
「今までのボランティアを考えたら、この程度の横紙破り、釣りが出るぐらいです」
「ボクも、お手伝いしたい、です……!」
オニオンも身を乗り出す。
大人たちは顔を見合わせると、小さく微笑んだ。
「ありがとう。その時になったら、必ず声をかけるよ!」
「は、はい!」
憧れのカブに頼りにされたことが嬉しかった。緩む頬を押さえられないオニオンにネズが言う。
「でもねオニオン。順調に進んでも、年単位の擦り合わせになると思いますよ。ハコをおさえるのも、ブッキングも、規模が大きくなれば時間がかかる物です」
ネズは挑発的なまなざしで口の片方だけをつり上げた。
「だから、それまで、強いトレーナーでいてください」
「が、がんばります……!」
それを聞いて、カブもオニオンとネズへ力強く頷いた。
「ぼくは発起人になるわけだから、余計負けられないね!」
それから、なにかのしっぺがえしのように、ネズにニヤリと笑う。
「きみもオープニングアクトに呼ばれるように、売れてもらわないと」
「任せてください。リーグにロックスター価格のギャラ吹っ掛けてやりますよ」
涼しい顔で軽口を叩いて、立てかけていたギターを手に取るネズ。軽く音を鳴らして、二人と三匹のオーディエンスを見渡した。
「特別に、気の早い前夜祭と洒落込みましょうか」
ゲンガーが、弾むように立ち上がると、ネズの近くでころんと座り込む。オニオンを振り返った。
プレミアだぞ、と、嬉しそうにニヤける親友に、オニオンもつられて笑った。
【farewell, a ghost like me】終わり