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1:Today
 ミュージシャン、ネズが、ガラル全てのスタジアムを巡るライブツアー。「Re Challenger Tour」と銘打たれたそのファイナルは、シュートスタジアムで行われた。チケットは先行も一般も秒で完売。アーカイブなしにも関わらず、オンライン視聴も相当なアクセス数を叩きだしている。
 この公演だけ、特別に事前諸注意があった。「濡れたり汚れても構わない服、またはポンチョなどの着る雨具を"必ず"用意してお楽しみください」というものだ。また、アリーナの客は入場時に、アナウンスがあったら電子機器はこちらにしまってほしい、と、ツアーのロゴが入ったチャックつきのポリ袋が手渡されていた。
 ネズのライブは、オフィシャルサイトのガイドラインに従えば、写真も動画も撮影、公開が可能だ。それを一時制限するような試みがあるのか。オーディエンスたちの期待をよそに、諸注意に該当する舞台演出は行われないまま、ライブはもう終わりに差し掛かっている。
 最後の衣装替えで引っ込んだネズの替わりに現れたマキシマイザズが何曲かの演奏を行った後。ふいにモニタに「この先悪天候注意」の文字。アリーナ席の客たちにも、電子機器を配布の袋にしまうようアナウンスがあった。
「サンキュー、マキシマイザズ! 今回のツアーにずっと帯同してくれた皆に拍手を!」
 オーディエンスが待ち望んだ声がスタジアムに響き、ネズがステージに戻って来た。入れ替わりでステージをはけていくマキシマイザズとハグやハイタッチをするネズ。
 その姿を見て、シュートスタジアムがどよめいた。
 マイクを握るレザーのグローブはそのまま、身体に張り付くような黒いのタンクトップに同色の短いランニングタイツ。タンクトップの上には白いレザージャケットを羽織って、足は髑髏の踵飾りがついたショートブーツ。
 腰の銀ベルトにぶら下がったボールホルダーを含め、ポケモントレーナー、ネズを思い起こさせるのに充分な出で立ちだった。
「おまえたちも。今回は、おれの新しいジムチャレンジに付き合ってくれてありがとう」
 ネズは深々と礼をした。拍手と彼を呼ぶ声が収まってから頭を上げる。
「驚いたよね。急にこんな大きな会場で、それも野外で」
 黒いビーズがきらめくインイヤーモニターを直すと、ネズはメインステージを、左右にゆっくりと歩きながら話し始めた。
「ガラルを出て行く前に、ミュージシャンのおれが、ポケモントレーナーでもあるおれの軌跡をもう一回確かめたくって。おれにとっては、どちらも大事なおれを作ってくれたものだからさ」
 ネズは目を細め、ライトに照らされるアリーナと、スタジアムの客席をぐるりと見渡した。
「みんながこうやって足を運んでくれたこと、本当に嬉しいよ。音楽だったらシュートが秒で埋まるぞって、昔のおれに教えてやりたいです」
 アリーナも、スタジアム席も、客席のライトに照らされてよく見える。本当に、ここが、全部ネズの客で埋まるなんて想像もつかなかった。それだけ求められることが、幸福でも、恐怖でもある。ダンデもかつては、そういう心情だったのかもしれない。
「……二年前のおれが、しがないジムリーダーだったこと、覚えてるやつは?」
 自分の音楽を聴きにやってきた人、人。ミュージシャンのネズを愛するファンたちには、ポケモントレーナーとしてのネズを知らない人間も多い。それでもマイクを客席に向けると、返ってくるのは歓声。
 片手をあげ、ありがとう、と返す。心拍数の上がった体はライトに照らされて熱を上げていく。結んだ髪をかき上げ、首の後ろに風を通した。
「残念ながら、キャリアの最後は負けで終わっちまったんですけど、おれ、その時の対戦相手からずっと誘われてたんです。またやりたいって、今度はダイマックス抜きで、って」
 アリーナでネズを見守るお客の顔が良く見える。急な昔話に困惑しながら、今日のこの時間を精一杯楽しもうとしている様子。ネズにしては饒舌だとでも思っているのかもしれない。話が長くて悪いねと、ネズは軽く唇の端を持ち上げる。演出の支度が整うまで、尺を稼がないといけないのだ。
「……おれね、断ってました。ふざけんじゃねえって話ですよ。おれのスタイルに合わせてやるからアンコールだなんて、そんな上から目線の提案、おれが受けるわけねえだろ、そう思っていました」
 おまえらなら分かるよね、おれがどれだけひねくれているか。そうオーディエンスに振ってやれば、分かる、というまばらな合唱と温かい笑い声がネズを包む。
 ネズは小さなハコでやる時の、客を相手に歌と魂をぶつけ合う攻撃的なライブこそを一番愛しているが、こうした大きな会場での安心感も嫌いではない。
「でも、おれが見誤っていたんです。おれのバトルスタイルに敬意を払っての、ノーダイマックスだそうで」
 照れ臭いですね。ネズは、チョーカーの飾りを引っ張った。
「実はね。おれも、そいつの勝ちに食らい付くガッツは、嫌いじゃねえんです」
 リラックスした歩調のネズは、ステージの、向かって右端立ち止まった。誰の話か分かってきた一部のオーディエンスがざわめくのを、愉快な気持ちで聞く。
「自分の確固たるスタイルがあって、硬い鱗で他人の謗りなんか退けちまうところも、当然、バトルの強いところも」
 あいつをこんな風に正面から賞賛したことはなかったが、ライブのネズは自分を守るための壁を全て取り払って、正直になるようにしている。そうでなければ自分の声は届かないと知っているからだ。普段は言えないことも、ここでなら言える。
「ただね。それとこれとは別なんですよ」
 けれど、少しの間、その自分にはおねんねしてもらう。イヤーモニターから、スタッフのゴーサインが出たからだ。
「この哀愁のネズに『アンコール』を要求するようなトップジムリーダーには……」
 聡い客が、事態を把握して「そいつ」の名を叫ぶ。ネズの微笑みが、一気に危険なものに変わる。
「……バトルで思い知らせましょ。あいつがどんな性悪に喧嘩売ったのか」
 一拍の休符を置いて、ネズの目はぎらつく。それは、ジグザグマが飛び出す直前の獰猛な視線に似ていた。
 深く息を吸い、ネズは背を逸らす。
「降りてこいキバナァ! ケリつけてやるよ!」
 マイクを使わず、スタジアムに響き渡る甲高い吼え声。
 客の視線が上空に注がれる。ライトが一点に集中すると、シュートスタジアムの真ん中に、薄緑のドラゴンが現れた。
 砂漠の精霊と呼ばれる彼の麗しい歌声がスタジアムにこだまし、急降下する。その背にあるじを乗せて。
 フライゴンの主人であり従者でもあるその大柄な男は、フライゴンがステージの上で滑空姿勢を見せたところで飛び降りた。いつの間にか、ステージの前面を覆うように、ポケモンの攻撃にも耐える特殊素材の透明な板が迫り上がっていた。
「随分と待たせてくれたじゃねえか、ネズ!」
 ピンマイクを通して響くキバナの声。その姿がモニタに抜かれると、ざわめきは歓声に変わった。キバナは、白いジャケットとベストのセットアップに、ゴールドのパイピングが施された黒いシャツを合わせていた。トレードマークのバンダナも白く、本来ダイマックスバンドのある場所には、無骨なブレスレット。
 フライゴンの目によく似た意匠のサングラスを外すと、キバナはネズと鼻先がぶつかるような距離に数歩で肉薄した。ネズのスタンドマイクの柄をひっつかんで引き寄せる。
「オレさまをオマエのホームに呼んだこと、後悔させてやるよ」
 ネズも顎を上げ、マイクを奪い返すとキバナをにらみつける。
「その牙へし折ってやりますから、せいぜい吠え面かきやがれ!」
『……二人とも挨拶は済んだか? オレは早くオマエらの試合を見たくて、うずうずしているんだが』
 スピーカーから割り込む元ガラルチャンピオン、ダンデの声に、いよいよスタジアムは悲鳴で包まれた。


2:before 6th month

「妹よ、相談があります」
 夕食が終わったダイニングで、紅茶の入った二つのマグをテーブルに置いたネズが、マリィの向かいへ座る。珍しく、兄はポケモンを全てダークボールに入れていた。
「なんね? 改まって。洗濯機なら、マリィが買い換えるでオッケーに決まったよね?」
 部屋着のマリィは椅子の上に足を乗せて座っている。その膝の間にはモルペコ。テーブルに置かれた愛用のマグカップを引き寄せて、マリィは息を吹きかけた。
「おれ、来年の夏から暮れにかけて、家を留守にします。カロスとイッシュでライブツアー組むことに決めたので。おまえの誕生日とか、折を見て戻るようにはしますが……」
 大好きな兄の紅茶を一口飲んでから、兄をじろりと睨む。
「アニキ」
 自分にジムを預けるようになってフットワークの軽くなった兄だったが、そんなところまで飛んでいくつもりなのか。マリィは呆れ顔でマグカップを抱えた。
「何べんも言うとるけど、アニキのそれ、相談じゃなかよ」
 ジムリーダーを辞めたネズは色々な事をマリィに最初に話してくれるようになったが、それはネズの中で結論が出ているものばかりだ。ライブハウスを昔の倉庫街に建てる話も、年内にガラルのポケモンスタジアムをツアーで回るという話も、ネズの中でそうすると決まってからマリィに報告する。そうじゃなか、もっと早く言いんしゃいと、何度怒ったか。
「だいたい、半年もいなくなるなら、ジムにも申請出すよね? アタシ聞いとらんけん、どうせ事務の人言いくるめたんでしょ」
「そうですね」
「そうですね、やなか!」
 マリィの膝の中で大人しくしていたモルペコが飛び降り、ダイニングテーブルの下を駆けてネズの足にしがみつく。ネズが抱き上げると、モルペコはネズの髪を掴んで肩によじ登る。痛いと呻くが強く振り払わないネズに構わず、マリィは怒る。
「そういう大事な話、ちゃんと! ジムリーダーのマリィにも言いんしゃい!」
 そう言えば、引退した兄を怒る機会が増えたような気がする。それだけマリィを信用して、甘えているのかもしれないけれど、もうちょっと加減してほしい。
「で? 相談ってなんね?」
「おれのメンバーの一部を、おまえに任せたいのです」
「アニキのポケモンを?」
 マリィもさすがに怒気を引っ込め、足を椅子から降ろして視線を合わせた。
「手続きだとかの関係で、全員は連れて行けません。連れていくのはタチフサグマと、ズルズキンとカラマネロ」
 あとのストリンダーとスカタンクをマリィに頼みたいと、兄は言う。全員をスパイクジムに預けることだって可能なのに、ネズはそうしないらしい。
「あくタイプは、育つほど厄介なんですよ。なにかあった時、あいつらから見て格下の相手が叱ったところで、ウソッキーにほのおです」
 こいつがそうでしょう、と、ネズは肩からモルペコを降ろし、膝に乗せた。
「やけん、マリィなんだね」
 ネズはマリィに頷いた。
「おまえは、おれたちのこと、一番分かっていますから。それに、おれたちのボスは、マリィ。おまえです」
 少しジョークめかしているが、その一言には、兄からの信頼があった。
 トレーナーとして他人へポケモンを託すこと、託されることの重大さは、マリィもよくよく分かっている。
「あんね、アニキ。マリィを頼ってくれて、嬉しかよ」
 自分はトレーナーとして、ポケモンを預けても良いと認められたのだ。兄が困っているなら手伝いたいと思ってきた。やっとその時がきたことが嬉しくて、でも、それを兄に悟られるのは嫌だった。
 マリィはわざと口を尖らせる。
「でもやっぱり、アニキのそれ相談やなかけん、今度は迷ってる時に話して」
 ネズは神妙な顔で、はい、と返事した。
「それで、アニキ。みんなは、納得しとるん?」
 そちらの方が気がかりだった。ネズのポケモンたちに、扱いの差で亀裂が入りはしないか。
 尋ねると、兄は、頬杖をついて苦笑い。
「この前、ソロキャンプ行くって出たでしょう。その時に話をしました」
「もしかして、あんときの怪我」
 青あざや引っ掻き傷や、おまけにスカタンクの臭いと帰ってきた日だ。はしゃぎすぎたと言い訳する兄をバスルームへ連行し、扉一枚挟んで「いい大人が」と懇々と説教した時のこと。
「誰が行くかの決闘を見届けてから、みんなに一発ずつ貰いました。あいつら、本当に仲が良いんです」
 もう怒る元気もなかった。兄とそのメンバーたちは、こういう荒っぽいコミュニケーションが好きなのだろうか? だとしたら、死なない程度に好きにしたらいい。
「……ようあの程度で済んだね……」
 特にその気性の荒さを気に入って迎え入れたメンバーが、ネズの手持ちには多い。ネズを群れのボスと認めるまで、ずいぶん暴れん坊だったポケモンもいた。ネズが縫うほどの傷と引き換えに制したメンバーもいれば、アニキにケガさせるな! と泣きながら立ち塞がるマリィに免じて大人しくなったメンバーもいる。
「あの頃に比べたら、みんな加減が分かってくれて嬉しいよね」
 ネズも同じことを思い出していたらしく、二人で笑い合う。呆れたり怒ったりはするけれど、結局のところ、マリィも、守るものの為なら果敢に戦える彼らが大好きなのだ。
「アタシは、毎日のお世話だけでよかと?」
 そうですね、と、ネズは頷いてから、ああでも、と、鍵盤を弾くようにテーブルで指を踊らせる。
「バトルが好きな連中なので、その辺の野生のやつでも、チャンピオンたちと外遊びする時でも、ちょっと揉んでもらってください」
 踊っていた指が止まり、テーブルで組まれる。
「迷惑かけちまうけど、お願いできますか」
 どこか緊張した様子で力の入る兄の指先。
 マリィはテーブルから身を乗り出し、両手で兄の頬をフニフニと挟んだ。
「もちろん、イエスだよ。迷惑なんてことなかけん、アニキには、好きなことたくさんやって欲しかよ」
 ね? と、ジムリーダーになってそれなりに経つが、まだ苦手な笑顔で言ってあげると、ネズはいつもの仏頂面が嘘のように、とけるような笑顔を返してくれる。
「ありがとうマリィ」
「んーん」
 お礼を言われるようなことではない。ネズがマリィにずっと言ってくれたことを、返してあげただけだ。
「まだ先の話ですけど、なにかあったら、隣町のジムリーダーを頼りなさい。そのうち、おまえの次ぐらいに、おれのメンバーに詳しくなるから」
「……キバナさん? なんで?」
 兄は、今にわかるよと楽しそうに微笑む。
「もしなにか聞かれても、知らないって言っといてください」
 あ、これはわるだくみをしてるな、と、マリィは直感した。


3:before 1 year

 ダンデがパソコンに送られてきた幾つかのデータに目を通して唸っていると、内線でネズが来たので通していいか、と部下の声。
「すぐ呼んでくれ」
 ダンデは、一部の人間はアポイントなしで面会を許可している。ネズはその一人だ。見られて困るものではないが、一応パソコンの画面をロックして机回りを片付けていると、ドアがノックされる。ゆっくり三回。このリズムはネズだ。
「入ってくれ!」
 ローズが使っていた執務用の一部屋は、バトルタワーのフィールドから少し低層階だった。そこで、以前は来客用の応接室として使っていた部屋を少し改装し、ダンデが委員長業を行う場としている。応接スペースと業務スペースを家具で区切ってもまだ広い、シックな赤をベースに品の良いデザインで囲まれたここは、一日過ごすに不便はない。
「やあネズ!」
 ドアを開けたネズを、ダンデは立ち上がって出迎えた。
「なんです、ごはん待ちのワンパチみたいな顔して」
「やっとポケモンの話ができるぜ!」
 リーグ委員長という、我が身の丈に合わない大役を預かるダンデは、バトルについて気兼ねなく話せる機会が貴重なガス抜きだった。
「おれ仕事で来てるんですけどね」
 ネズは相変わらずの眠たい顔で、片手の封筒をダンデに見せるように持ち上げる。
「かけていてくれ。この後予定は?」
 尋ねながら、ダンデは机の側に置かれたカップボードの前に立ち、天板に乗った電気ケトルに、ペットボトルの水を注ぐ。いそいそと茶葉の缶を取り出したダンデを見て、ソファに座ったネズがゲッと声を上げた。
「またおれが練習台ですか」
 まあいいですよと、ネズはため息を吐く。嫌な顔はするが、結局付き合ってくれるのだ。ダンデが委員長の椅子に座ってからというもの、ネズにはなにかと頼りっぱなしだった。
「予定はないので、先に、仕事の話済ませちまってもいいですか」
 ダンデが対面に座るのを待って、ネズはさっぱりした口調で告げる。
「おれ、トレーナーを少し休みます」
 ミュージシャンとして、海外ツアーのオファーを受けたという。
「そうか」
 ダンデは短く返答し、ネズから受け取った封筒を開ける。中には、トレーナーの、いわゆる休業に関するいくつかの申請書。期間は再来年の夏から冬にかけて、ほぼ半年。その間は、試合に招待されても応じないし、緊急での呼び出し以外、トレーナーとしては動かないと言う。
 ネズは早すぎたかと済まなそうにしていたが、試合のスケジュールは調整するよう伝える。
「助かります」
 そう言って、ネズは恐る恐る紅茶に口をつけた。
「……茶葉が多すぎるんですよ」
「そうか……」
 ネズの批評が具体性を帯びてきているので、進歩している。「オニオンのヤバチャの方が美味いです」とこき下ろされた時から比べたら、相当だ。
「ん……これは?」
 書類をあらためていたダンデの視線が、もう一種類のクリアファイルで止まる。来年行う予定のスタジアムライブで、バトルをする許可を求める書類だった。
「ライブ中にバトルか! いいんじゃないか」
「おまえなら、そう言ってくれると思いました」
 ネズはどこか安心した様子で薄く笑った。
「初めてのことなので、スタジアムのスタッフから知恵を借りたいんですよね」
「もちろん手配する! それより、バトルの相手は?」
「……」
 珍しくネズが視線を逸らして言い淀むので、ダンデは誰を呼ぶつもりかピンと来た。てだすけしてやるつもりでネズに言う。
「キバナとの再戦は、渋ってたんじゃないのか」
「そうですよ。だから空欄でしょ?」
 確かに対戦相手は未定となっている。
「理由を聞いても構わないか」
 自分でも一口飲んだが、確かに渋みが強かった。目元の微かな動きで分かったのか、ネズはほら見なさいと笑った。それから、ダンデの数分の成果を一息で飲み干される。
「……あいつがね、ダイマックスなしで、って言いやがるから」
 音を立てずソーサーにカップを置いたネズは、ソファで足を組んだ。
「勝った相手が負けた相手に合わせるって言われたら、おまえどういう気持ちになりますか?」
「オレは嬉しいぜ。相手がみすみすオレに合わせるなら、全力でぶつかって、次こそ勝つ!」
 おまえはそうでしょうねとネズの顔が歪み、おれには憐れみに見えるんです、と、言い切った。
 他人から施される耳当たりの良い話に、ネズはとても警戒心が強い。それは、過去の経験からくるもので、その詳細を知っているダンデにとっても、当然のリアクションだと感じるのだが。
「せめて納得できる理由を聞きたいんですよ。悪いやつじゃないとは、分かってるんです」
 ネズ、ダンデ、キバナの三人は、ソッドとシルディの件が終わってから気のおけない間柄となった。一通り片付いてから、キバナから三人でメシでも、と誘いがあって、それからだ。
 ナックルのバルでバトルの話に火がついて、店が看板をひっくり返すまですっかり話し込んで。そうしたらあっという間に三軒目にいて、私用の端末に三人のトークグループができていた。
 今では、用が無くても集まる仲だ。それぞれの自宅で、試合を見たり酒を飲んだりして、床で寝落ちしたまま朝を迎えたこともある。三人とも、互いを私生活においては友人と紹介できる関係だ。ネズだけは頑なに「知人」と言うらしいが。
「でも、それとこれとは別じゃないですか」
「別だな!」
 仲良くなったとはいえ、プライベートとバトルの事は線を引く。それは相手への礼儀でもある。それはダンデもよく分かるのだ。分かるが、ネズの勘違いは正さねばならない気がする。
 ダンデは、自業自得の渋い紅茶をネズと同じく一気に流し込むと、切り出した。
「キバナがダイマックスなしで、って言うのは、コータスの時と同じだ。自分の強さを広げるためだぜ」
 以前カブからの提案でキバナが取り入れたコータスは、キバナのチームに馴染んでいる。バクガメスの強さを充分に活かせるし、ダブルバトルでは恐ろしく強い。
「誰の事も師匠にして、自分の世界を広げるんだ、キバナってやつは。キバナは勝つことに関してオレと同じぐらい執着が強い」
 ダンデは胸中でキバナに詫びた。すまない、この話をネズに聞かせることを許してくれ。
「それに、キバナがダイマックスしないで戦いたいのは、ネズのスタイルに敬意を表するためだぜ」
「敬意?」
「詳しい話は本人に聞いてくれ。オレから言えるのは、決して、オマエを侮ったり、勝者の奢りで誘っている訳じゃないことだけだ」
 ネズは首で揺れるシルバーの飾りを片手で弄ぶ。
「……そうですか」
 ネズの眉から険しさが抜けた。それを見て、ダンデは自分の机に向かうと、ペン立てから抜いた黒いボールペンをネズに放る。やることは分かっているな、と表情で尋ねると、ネズは舌打ちした。
「分かりにくいんですよ、あの野郎」
 文句を言いながら、ネズは両手でキャッチしたペンで、対戦相手の「未定」に線を引き、キバナの名前を書き込んだ。
「オマエもめんどくさい奴だぜ!」
 しぇからしか、の一言と一緒に、用の済んだペンを投げ返される。
「あー、くそ……腹くくったら面白くなってきましたね」
 ネズは、キバナには直接自分から話すので、伏せてほしいと言う。ダンデはそれを了解する。職権を振りかざしていると言わば言え。ダンデも見たかったカードは、なるべく友人の裁量に任せたいのだ。
「オレも、オマエたちの試合は、ぜひ見学したい。スケジュールは空けるから、チケットだけ都合してもらえないか」
「当然、関係者にはチケット送るつもりですけど……」
 ネズは首を少し傾け、チョーカーの飾りを引っ張る。なにか考えている様子だ。声をかけずにおくと、ややあってネズはダンデに面白い提案を持ちかけるから、ダンデはその場で快諾した。
「バトルへの関心が広がる、願ってもない機会だ。報酬は、オマエたちの胸躍るバトルでいいからな!」
「と言っても……あいつが受ける前提ですけど」
 まだ不安げなネズに向かって、ダンデは心配するなと笑う。
「キバナだぞ? 受けるはずだぜ!」


4:before 3 month

「はん、とし」
 夕暮れ、ナックルシティのパブで、キバナはネズの言葉を繰り返した。
「……そんなに?」
 ネズは頷き、カウンターに肘をついて、エールの瓶を傾けた。
「二地方で十公演ですよ。たまに戻ってきますけど、基本的にはガラルにいません」
 ちなみにダンデと妹には話通してます。と、ネズは、もうすぐ合流するダンデの名前を出す。
「いつも話が急なんだよな、ネズはさぁ」
 ジムリーダーを辞めたというのに、ネズときたら、スパイクタウンの宣伝のためと、積極的に外へ出向く。結局ジムリーダーの時と変わらねえのな、と茶化すと、ネズから、至って真面目な表情で「好きなこととやるべきことが同じなら、どこへでも行けます」と返された。
 それでも、半年という期間ガラルにネズがいなくなるのは、せっかく友人になったキバナにとっても思いがけない話で、酷く動揺してしまった。
 ネズがミュージシャンに活動を絞っていくなら、いつかこんな風に、音楽のためにガラルから離れる日が来ると分かっていた。それでも、見送る側には心の準備というものがあるのだ。
「……トレーナー、やめねえよな」
 思わず硬い声でネズに確認してしまう。
「うちの連中がバトルをやりたがる限り、頑張りますよ、当たり前でしょ。ただ、半年みっちり音楽に集中しますから、おれの腕は落ちるでしょうね」
 キバナは懸命に表情を繕った。そんな申し訳なさそうな笑顔で、弱くなるだなんて言わないでくれ。
 再戦の話をすげなくあしらわれ続け、もう随分経つ。タッグは組んでくれるし、招待試合にも応じるくせに、キバナとダイマックスなしの再戦だけは拒まれ続けていた。理由を聞いても教えてくれない。
 もともとネズに対しては、勝負が好きなのか嫌いなのか分からない、そんな印象を持っていた。ダイマックスをしない、という誓いを立て、勝敗とは別のところに価値を求めているような、変なところでストイックな奴だ。侮りもしないが、ダンデと戦う時のような、全身が勝利を求めて沸き立つ感覚は起こらない。
 ところが「あの時」目の当たりにしたのは、本当に勝ちを取りにきたネズの、今まで見たことのない強さだった。読みの冴えはばつぐんで、フィールドの状況にもグラつかない集中力。
 タフなネズとそのメンバーたちは、相手の嫌がる手を的確に打ってくる。満身創痍のネズのチームに、キバナたちは追い込まれた。どうにか勝利を掴んだものの、ダイマックスがなかったら、負けたのはキバナだったかもしれない。横っ面を殴られたようだった。
 今までダンデしか見てこなかったキバナは、ネズとの準決勝、そして若いチャレンジャーとの戦いで気づかされた。まっすぐ星を掴もうと空を見上げ続け、見逃してきた強さがあったのではないか、と。その星が落ちると思っていなかった自分は、呑気なやつだったと今でも自嘲のタネではあるのだが、それは置いておく。
「そっか。半年いないと淋しいな。折角タッグも馴染んで来たのにさあ」
 誤魔化すように流し込むエールはいつもより苦かった。
「もう、じしんも打ちませんしね」
「それは悪かったって!」
 ガラルスタートーナメントでは、ついダブルバトルの癖で使ってしまう全体攻撃が、ネズのポケモンの体力も削ってしまうアクシデントがあった。何かあるたびに、ネズはそれを持ち出してキバナをからかうのだ。
 そんな儀礼的な親愛のやり取りと同じようにして、「バトルしようぜ」「お断りします」を繰り返してきたが、今を逃したらもう二度と了承してもらえないかもしれない。
「なあ、ネズ」
 ダンデが来たら、きっといつもの挨拶として流されてしまう。
「出発する前に、オレと試合してくれよ。シュートの公園とか、ワイルドエリアでも、どこでもいいからさ」
 半年ブランクが空けば、ネズの実力はキバナに追いつけなくなる。ネズが自分と釣り合うと納得できるまで、きっと次の機会は来ないだろう。ふさわしいとか、ふさわしくないとか、そういう面倒臭い考え方をする男だ。ネズという奴は。そんなものは、オレさまが決めることだ。
「オレは知りたいよネズ、オマエのこと。オマエの強さも、好きだっていうバトルのスタイルも。オレたちのやり方でさ」
 友達付き合いで見えてきたネズの一面も新鮮だったが、本当に深い部分はポケモンバトルで理解したい。
 それが、トレーナーとしてキバナがネズに向けるリスペクトだ。
「これで最後にするから。頼むよ」
 ネズの冷たい温度をたたえた目が、キバナの真意を測るようにジロリと向けられる。お互いがジムリーダーだった頃、よくこんな眼差しを向けられていた。あれは、いかくの類だったのだと今なら分かる。
 その「いかく」の表情が、種類を変えた。
「……やっとおれのこと見ましたね、おまえ」
 ネズは髪をかき上げると、意地悪く微笑んだ。背の高いスツールに浅く腰掛ける姿が軽く揺れる。
「おまえ、おれと戦う時は『その先』ばかり見てたでしょ。ジムチャレンジでも、ファイナルトーナメントでも。おれはおまえの踏み台じゃないんですよ」
 ジムチャレンジの時はナックルジムを、ファイナルトーナメントでは、決勝でダンデとの試合を見据えていた。
「ほんと悪かった。後悔してる」
 ネズは頬杖をついて、もう一度問う。
「おれと再戦して、その先に誰かいますか?」
「いねえよ。オマエだけ」
 視線がかちあう。パブの喧噪が一瞬遠くなるようだった。にらみ合うような数秒ののち、ネズが根負けしたように表情を崩した。
「おれのホームならいいですよ」
「え、え? ほ、ほんと……?」
 キバナは、ここ何年かで一番間の抜けた顔をネズに向けた。
「おれも、どうせ踏み台なんだろうとか、勝者の施しだとか意地を張って、返事を先延ばしにして悪かったよね」
「オレこそ、ちゃんと話せなくてゴメンな。オマエのプライドがアローラのナッシーよりデカいの、知ってたのに」
「一言余計なんですよ」
 ネズから小突かれた。
「試合、ホームってことは……スパイク?」
 ネズはイエスともノーとも言わず、眉を片側だけ持ち上げた。
「ハコは押さえてあるので、あとはおまえの返答次第ですが」
「イエスに決まってるだろ!」
 店の客が注目するような声で即答すると、いつもならキバナをたしなめるネズの唇が、ゆっくりと弧を描いた。
「それじゃあ、その愉快な顔に免じて、贈り物です」
 ネズが黒いレザーのクラッチから取り出したのは、鮮やかなピンクと黒の、リソグラフで刷られたチケットだった。ど真ん中に「Re Challenger Tour」のテキストと日付。ひっくりかえすと、このチケットが関係者用であることをはじめ、さまざまな諸注意が並んでいる。
「……秒で完売したやつじゃねえか」
「そうですよ」
 ネズは何でもない様子でエールを飲む。これが再戦に、なんの関係があるのか、ネズとチケットを交互に見る。
「おまえには、そいつで、おれのツアーファイナルに来てもらいます。シュートスタジアムです」
 来てもらうと言いながら、なぜかネズは、キバナの手からチケットを取り上げてしまう。あまのじゃくな奴。
 肩をすくめると、ネズの意味ありげな視線がキバナを撫でた。首をかしげるキバナを置き去りに、ネズは続ける。
「今回のツアーは、おれのガラルでの区切りなので。おれもメンバーも最高にチューニングして、ガラルでやり残したことは『全部』やっちまいたいんですよね」
 わかるだろ、そう言いたげな流し目に、キバナの背筋を、ぞくりと何かが駆け上がった。
 ホームならば良いとネズは言った。キバナはそれを、完全に誤解していたのだ。ネズお得意のイカサマじみた物言いのせいだ。
「おれのことが知りたいんでしょう。これ以上ない場所だよね」
「てめぇ、ネズ」
「ライブの終わり際に、ちょっと趣向を変えようかと思ってるんですよ」
 想像する。
 満員のシュートスタジアム、そこには、ネズの歌のため訪れる客だらけ。その聴衆たちのあらゆる感情は、はちきれんばかりに、全てネズに注がれている。
 そこに、キバナを放り込んでやる、と、隣の男は言っている。
「お互いのポケモンは六匹見せて三匹選出、ダイマックスはなし」
「おまえ……」
 声が震える。逆境なんてどこ吹く風とダンデに挑み続けたキバナでも、ここまでのアウェーは一度だって経験がない。
 なんて興奮する宣戦布告だろう!
「おれの『ホーム』だって言いましたよね?」
 ネズは顎を上げ、あの試合で見せた挑発的な笑みでキバナを誘う。
「おまえが、喉から手が出る程欲しがった物ですよ」
 頬杖を付き、チケットをヒラヒラとチラつかせるものだから、キバナも我慢できなかった。
「上等だ」
 まるで獲物を前にした竜のように、目尻を吊り上げて牙を剥く。この憎たらしい「あくタイプの天才」を、頭から食らい尽くしてやりたくなる。
「ライブの最中だからって容赦しねえぞ」
 キバナは、ネズの手からチケットを奪い取った。そして気づく。
 六匹? 公式試合でもジムチャレンジでも、手持ちは五匹のネズが?


5:now here

 六匹見せて三匹選出。そう言ったネズは、足りない一匹を、いわジムから借り受けたバンギラスにした。キバナは、ファイナルトーナメントの五匹に加え、ジムチャレンジの相棒であるサダイジャを選んでいる。
 スクリーンに映るスターティングにバンギラスを見たキバナは、一瞬だけ驚愕を現した。引退試合の砂嵐を強烈に意識した選択に見えたことだろう。
 いわ、あく複合のバンギラスなら、ひでりと砂嵐には強気で攻められる。キバナ対策で入れてきたからには、使うに違いない……そうキバナに信じ込ませる。
(食いついてくれれば、まずバンギラスを警戒してヌメルゴンが出てくるはず)
 キバナが本気でネズ対策をしてきたのなら、ネズも本気でキバナ対策をする。当然、ポケモンたちはベストに仕上げる。それでも届かない個体の強さは、トレーナー同士の心理戦で制する。
『選出は決まったな! 両者、準備はいいか? スリーカウントで始めるぞ』
 会場向けに解説を依頼したダンデのスリーカウントがゼロになった瞬間、ジムリーダー時代に使っていたBGMが鳴り、ネズとキバナは最初の一匹を繰り出した。
「今日のカラマネロは一味違います。あまのじゃくにピッタリのわざで行きますよ!」
「何だろうがオレさまの相棒が相手するぜ。ヌメルゴン! あまごい!」
「悠長ですねキバナ! ばかぢからでご挨拶しましょ!」
 カラマネロはばかぢからでステータスを上げる。このまま押すかと思わせて、ネズはわざと首元の銀の輪に指を通し、強く引いた。「ネズがなにか迷っている」というポーズをキバナに見せるだけでよかった。他のポケモン……例えば、場に出すだけで天候が変わるバンギラスに交代させたいのでは? そう疑ってもらう。
「オーケー、次はバトンタッチ! おまえの上がったステータス、次のメンバーに引きついでください!」
「当然、そうだよなあ! ヌメルゴン、ハイドロポンプで迎え撃て!」
「ご愁傷様ですねえキバナ! おれの読み勝ちです!」
「……スカタンク?!」
 ハイドロポンプを受けたスカタンクは、ヌメルゴンにバークアウトを仕掛ける。ヌメルゴンは、こだわりハチマキを持たせたスカタンクの一発を受けきれず、倒れた。
『これはネズが上手い。スターティングのバンギラスを強く意識させて、キバナの反応を鈍らせているんだ』
 ダンデの解説は落ち着いた様子で、オーディエンスに状況を伝えているようだった。
「おれの勝負は、ポケモン選びから始まってんですよ。油断しましたか?」
 キバナの困惑は一瞬だった。ネズとの駆け引きに負けたと分かるや犬歯を剥き出す。ネズはスカタンクを温存し、カラマネロに再登場してもらうが、同時にキバナが吼えた。
「ネズ! てめえやってくれたな! フライゴン行くぜ! カラマネロにむしのさざめきだ!」
 こちらのカラマネロにばつぐんのわざを使われ、今度はカラマネロがユラリと倒れる。
『さすがキバナ、よく対応した。ここでカラマネロに戻すと読んだのはさすがだぜ』
 ネズはカラマネロに礼を言ってボールに戻す。それなりに大きな痛手だったが、まだ勝てる。不遜な笑顔で、まるで効いていないという態度を取った。
「おれたちに、そんなとっておき、見せて良いんですか?」
 そこからのキバナは苛烈に攻めようとするが、ネズは上手くキバナを翻弄した。タチフサグマに出てきてもらい、ブロッキングを合わせ、相手のすなおこしに強襲し、向こうのフライゴンを倒してしまえば、流れはネズのもの。
 後はあくタイプの天才、哀愁のネズの独壇場だった。その性格の悪い采配を存分に振るう。
「ジュラルドン! ボディプレス! 圧しつぶせ!」
「おまえは耐えるよなあタチフサグマ! カウンターで幕引きです!」
 タチフサグマのカウンターで倒れるジュラルドンの向こう、キバナの視線がこちらを射殺しそうなほど鋭くなった。ネズのスカタンクが、まだ戦える状態でボールにいるからだ。まさか打ち漏らすとは思わなかったのだろう。
『おめでとうネズ! オマエの勝利だ! 素晴らしい読みと心理戦だった。キバナもよく持ち直して食らいついた、それでこそオレのライバルだぜ! 楽しい時間をありがとう!』
 そのダンデからの宣言で、会場は堰を切ったように沸きあがった。ステージの両者はポケモンをボールへ戻し、中央へ歩み寄る。
 お互い体に砂が張り付いて、折角めかし込んだキバナも台無しだった。
 マイクスタンドからマイクを引き抜くと、ネズはキバナに向き直る。
「キバナ。敬意を払ってくれたこと、素直にありがとう。でも、これで分かったよね。次から喧嘩の相手は選びやがれ!」
「悔しいが、やっぱりオマエ強いぜネズ! さすがだよ」
 キバナがネズに握手を求める。それを握り返すと、ぐ、と、体が引き寄せられた。餞別のように背中を叩かれる。
「いつになく情熱的だね、おまえ」
 ネズが茶化すと、キバナは唸るような低い声で囁いた。
「ネズ、バンギラス選ぶつもりあった?」
 どうしても今聞きたかったから、これか。カメラに抜かれないのを良い事に、キバナは相当凶悪な面構えになっているに違いなかった。
「いいえ。あと、今回のスカタンクは『じゃれつく』んです。見せられなくて残念でした」
 ネズがネタばらしをすると、キバナは喉の奥でうめき声を押し殺したような音を出した。怒りと悔しさを吐き出す荒い一呼吸を終えると、キバナはネズから体を離した。
「ネズはバンギラスを『選ばない』と信じきれなかった! その時点でオレさまの負けだったな」
 それから、掴んでいたネズの手を掲げ、キバナはオーディエンスを向いた。
「みんな見ただろ! おまえらのネズの強さ! 腹が立つほどわるいやつだぜ、ほんと!」
 キバナのやけっぱちの賞賛で、シュートスタジアムが歓声で揺れた。掲げられた右手を軽く揺すると、すぐに解放される。ほぼ同時に、ステージにせりあがっていたパネルが下がっていく。
「これが、ネズが大好きなポケモンバトルのスタイルなんだよな! シンプルだけど奥が深い」
「おい、おれのセリフ取るんじゃねえです」
 ネズはジャケットを脱いで砂を払い落とす。髪も解いて揺すると、ボソボソと砂がこぼれた。キバナはいいじゃねえか、と言いながら、ネズの頭を、シャンプーでもしてやるようにかき回す。止せ止せと手を振るネズに構わず、キバナは続けた。
「みんな、エールを送る選手のわざが決まると気持ちがアガるし、ワクワクしただろ? ダンデの解説は……あんま聞こえなかったけど、きっと分かりやすかっただろうし!」
『初めて見る人向けに話ができるのは、オレも楽しかったぜ』
「ダンデも、ありがとうございました」
 ネズはなんとかキバナの手から逃れる。
「……こいつらとなら、キバナとの試合なら。そういうシンプルなバトルでも、みんなが楽しんでくれると思ったんだよね」
 ステージの縁ギリギリに進み出で、オーディエンスに尋ねる。
「どうでした? シンプルなバトルだけど、楽しんでもらえたら嬉しいね」
 楽しかった、最高、ダンデもキバナもよかった! ネズ! ネズ!
 あらゆる方向から浴びせられる笑顔と、声。
 知らず、感嘆のため息がネズから零れた。
 ……おれは、この景色が見たかった。
 自分の歌とポケモンバトルは、満員のシュートスタジアムを楽しませることができるはずだ。そう信じて走ってきた。それが、新しい友人や、ネズを愛してくれた人たちのおかげで、ここで、こんなふうに。
 報われたと感じた瞬間に、もうだめだった。ネズはその場に屈みこんだ。
「おい、大丈夫かー?」
 キバナの気遣いを、手を振って払い除け、平気と言うように頷く。
 喉の奥からせりあがる感情を、まだ早い、引っ込めと飲み込んで、ネズはやおら顔をあげ、屈託のない笑顔を見せた。
「恥ずかしいね。嬉しくなりすぎました」
 おまえもありがとう、と、キバナの手を掴んで立ち上がると、そのキバナの手を掲げた。お返しだ。
「そういうわけで、スペシャルゲストのキバナでした。おれの盟友にしてライバル! 勇壮なナックルの守護騎士とそのドラゴンたちに賛辞を!」
 キバナは優雅に胸に手を当てて一礼し、万雷の拍手に見送られ、悠然と手を振って舞台袖へ消えた。ネズは、砂まみれのステージを蹴って、中央にマイクスタンドを立て直す。
「ダンデも、助かりました。おれたち試合に夢中でロクに聞いちゃいませんでしたけど、打ち上げでプロ向けの感想戦、よろしくお願いしますよ」
『任せてくれ! 今日はお招きと最高の試合を感謝するぜ! みんな、ネズのライブ、最後まで楽しんでくれよ!』
 音声だけの出演になったダンデにも声をかけながら、ネズは、スタッフからアコースティックギターを受け取り、ストラップを体に通した。ほどいた髪をもう一度まとめる。
「じゃあ、ライブ続けましょう。あと三曲。本当はアッパーなやつやりたかったんですけど、キバナとやるのに一旦機材下げちまったんで……」
 軽く弦を鳴らして音を合わせる。
「これ歌ってる間に、セットアップしてもらいます。ちょっと後ろが騒がしいけど、そんなこと気にならなくしてやりますから」
 深呼吸して、ネズはマイクスタンドの前に立つ。あんなに火照った頭と体が、冴え冴えとしている。歌とバトルでは、魂の駆動が違うのだと思い知る。
「古い曲だけど、今日の気分にぴったりのやつ。楽しんで」
 歌にできることなんか、たかが知れている。
 どこかの街も救えないし、人を永遠に幸せにだってできない。
 でも、夜を越える力になる。ひとときのシェルターとして耳を覆ってくれる。決意の側で後押しをしてくれる。
 かつて自分を救ったそんな音楽のように、自分の歌もそういうものであるようにと、ネズは歌う前の一呼吸で、いつも祈る。
「――reward」
 奇跡のようなご褒美をくれた全員に届けと、ネズは息を吸った。


【reward】 終わり

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