
To my admired wizard.
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あのポケモンフリークがガラルスタートーナメントをぶち上げて、少し経った。
意外だったのは、スターなんて華々しい競技人生ではないと自負するネズがこけら落としに呼ばれたことと、それ以降も誘いがかかるようになったことだ。妹や、他のジムリーダー、今のチャンピオンにまで。そんなわけで、軸足は音楽に置きながらも、トレーナーとして腕の鈍らない日々は続いている。
そんな折、ポプラからディナーのお誘いを受けた。ナックルのレストランで食事でも、という話だ。場所を聞いて、ネズは思わず苦々しく微笑んだ。「あの時」の店だ。
妹がハロンタウンへ小旅行する日に都合をつけてもらい、珍しくセミフォーマルで装ったネズは、夕陽に染まるナックルシティの石畳を踏んだ。駅の方へ少し歩くと、予約の時間より少し早く店に着く。ナックルの伝統を踏襲した石造りの店構えは重厚で、変わらない安心感があった。
店に入るとすぐ、席に通される。昔はアーチ状に組まれた石の天井を高く感じたものだったが、今来てみると、思っていたより背が低かった。
「ここか……」
店内の奥まった席で、薄いカーテンを引かれた四人掛けの半個室。
「お連れの方が、こちらをご希望でしたので」
ここの接客も、店構えと同じように堅実だ。決して客の名を出さない。
「そうですか。どうも」
年季を感じる革のソファにかけ、席からの眺めを懐かしく見渡す。内装のタペストリなどは変わっていなかったが、記憶にある革張りのメニュー表がタブレットになっていた。
ネズは片手で頬杖をつくと目を細めた。
(同じ店、同じ席とはね)
この店にポプラと来ることになったのは、ネズのスパイクジムリーダー就任が内定した頃だった。自然、その時の事を思い出す。
◆
昼でもなお暗いアラベスクタウン。サイズ感が狂うような大きなキノコがそこここで光り、幼いポケモンたちが気まぐれに漂っている。まるで異物のように置かれたポケモンセンターでタクシーを降り、私用で訪れるのは初めてのアラベスクジムまで歩く。スタッフ用出入り口でヘッドフォンを外すと、案の定普段より鋭敏な耳が、沢山の情報を鼓膜に突っ込んできた。思わず顔をしかめたが、深呼吸し、呼び鈴を鳴らす。来客用の手続き後、中へ通された。
「ポケモントレーナーの方を稽古場にお通しする事は、あまりないんです」
ニコニコとネズを案内するご婦人が言う。皮肉かと思ったが、少女のような仕草で笑った。
「気に入ってらっしゃるんですよ、ネズさんのこと」
ネズは答えず、伸ばしかけの襟足を掻いた。
案内されたのは、ジムに内設された演劇の稽古場。小さいステージでは、聞きなれないガラル語で、知らない劇の稽古が行われていた。
前を歩いているご婦人が、ステージ前の小さなテーブルセットに陣取る魔術師……ポプラに駆け寄る。来客を知ると、ポプラはネズを一瞥した。
ネズは手を挙げて挨拶したが、その時にはもう、ポプラの視線は舞台に戻っている。手招きだけで側に来るよう示される始末だ。案内してくれたご婦人の「どうぞ」という囁きを、ネズはしっかりと聞き取った。
勧められるまま、ポプラとテーブルを挟んだ隣に座る。高そうなカップに香りのよい紅茶が注がれた。
「久しぶりだねネズの坊や」
「すみません、急に」
ネズは改めて小さなテーブルセットに収まるポプラを見る。上品に作法通りの持ち方で紅茶を一口。
「あたしに相談っていうのは何かね?」
「ええと……再来週、オフィシャルな食事会があるんです。前任のジムリーダー慰労と、おれの顔合わせ兼ねて、委員長とか、リーグの人たちと。それが、ロンド・ロゼのレストランで」
星がつくような高級店。考えるだけで手のひらに滲む汗をジーンズでぬぐう。
「それまでに、ちゃんとした振る舞いを覚え、たくて」
出かかった訛りが声を詰まらせると、ポプラの顔に刻まれた皺が不愉快そうに深まった。ネズは膝に乗せた手を握るが、ポプラはテーブルに立てかけた傘を二度床に突くと、舞台の役者に声をかけた。
「全体的に動きで誤魔化しすぎ。前の幕の終わりからもう一回」
舞台上の女性が返事をし、芝居を再開させる。そこで、初めてポプラの視線が舞台から動いた。値踏みされる気分になる。
「ローズの坊やに何か言われたかい?」
ポプラにかかればあの委員長も「坊や」だった。ネズは首を横に振る。
「違います。おれがそうしたいんです。これからは、おれが大人と渡り合わないといけ、ないので」
土地柄、派手な興行が見込めない事がわかったスパイクタウン。収入は落ちる一方で、このままではジムが潰れるか他所に移転になる。それをどうにかしたくて、ネズはジムリーダーを引き受ける事にしたのだ。
「フロントマンがしっかりしないと、あいつら、おれたちを下に見たままだから……」
ナメられることを、本来のネズは良しとしない。これまでナメてきた相手は、トレーナーならポケモン勝負で、そうでないなら、そうでないやり方で分からせてきた。お利口さんの外面は北の入り江にでも捨てて、指の一本でも立てながらパフォーマンスしてやろうかとも思った。
けれど、ネズは未来の事を考えなくてはいけない。
「だから、おれに上手くやる方法を教えてもらえませんか」
ポプラが視線だけをネズに向けた。
「わざわざあたしのところに来たのは、そういうワケかい。カブでもメロンでもなく、あたしとは!」
声を出さず笑う魔術師は、どこか愉快そうだった。
「坊や、ウールーのフリがしたいのかい」
ネズは礼節を忘れてポプラの顔を凝視した。ポプラは眉を上げた。
「魔術師には“おみとおし”さ。そういう事情なら、手を貸そうじゃないか。あんた、昼なら時間取れるね?」
「え? ああ……妹が、スクールから戻るまでなら」
あまりに話の進みが早く、困惑しながらも返答する。
「それで良いよ。明日からの昼食を、そうだね……ナックルでどうだい。馴染みの店があるからね。そこで仕込みをしようじゃないか。払いはあたしが持つから、安心おし」
「えっいや、悪いけん……あ」
ネズは思わず出たスパイク訛りに声を上げる。
「その『つい』を何とかしたいなら、できなくはないよ。それもやっていこうじゃあないか」
「あの……お願いしたのおれですし、自分の食事ぐらい、自分で払いますから」
舞台にまなざしを向けたまま、ポプラは鼻を鳴らす。ネズの顔をあまり見ないのに、こちらの気持ちが分かるらしい。
「これは、あたしがあんたに投資するのさ。黙って甘えときな」
「あ……ありがとうございます」
不意に訪れる会話の間隙を、舞台に立つ老女の古めかしいセリフが行き過ぎる。
「逆境はゆたかに人を利する。 逆境は、彼の醜惡な毒蝦蟇のやうに、其頭の裡に寶玉を藏し……」
先ほどやり直すよう言われた箇所だ。今度はポプラも口角を上げている。そのまま、ポプラは目を細めた。
「相談の内容によっては、ウチであんたを引き取るかと思ってたんだけど、いらない心配だったね。やり通すならその意気だよ」
ポプラがゆっくりと立ち上がった。
「さて、あとはライトと……立ち位置かね」
腰を伸ばし、ポプラは杖代わりの傘を手に取る。
「じゃあ、明日11時、ナックルの駅前でね。今日のところはお帰り。妹も心配だろ」
骨張った魔術師の手が、ネズの背に触れる。
「しっかりやりな。ネズの坊や」
魔術師は舞台に向かう。その不思議な暖かさに、ネズは奥歯を噛み締めた。
◆
「頬杖」
待ち人の懐かしい叱責に、ネズは条件反射で姿勢を正す。いつの間に現れたものか、ポプラが対面に座っていた。いつものファーショールはそのまま、ワンピースが店のドレスコードに合わせたものになっている。帽子もワンピースに合わせた深い紫色だ。
「面目ありません」
「まったくだよ」
ショールを店員に預けたポプラが落ち着くのを待って尋ねる。
「今日は、どうかしたんですか?」
「おや。用がなきゃ会わない仲だったかね」
「そうじゃありませんけどね」
食事会のリハーサルが終わってからは季節のグリーティングを送り合う関係になり、ネズがステージに立つようになってからは、そこにお互いの公演チケットのやりとりが加わった。互いの表現について知る機会を得たからか、同世代のジムリーダーより、ポプラに遠慮がない物言いができるようになったとは思っている。
「暇人を気遣ってくださって、ありがとうございます」
ネズは片方の口角をぐいと上げて笑った。
「引退した者同士、馴染みの店で慰労会でも、と思ったのさ」
「ああ。引退といえば、ここもシェフが代替わりしたそうですよ」
「へえ、それはお手並み拝見だね」
久しぶりに二人きりで会っても、話題に困る二人ではない。お互い板の上に立つ者同士、最近見たアートやステージについて話しているうち、コースの前菜が運ばれてくる。
良い料理と良いアルコールで、二人の饒舌さはいや増していく。出される料理を讃え、化粧品の情報を交換し、来期のリーグについて委員長に皮肉交じりの激励をし、お互いの後継者について評する。存外に健啖家のポプラはネズと同じようなペースで、カマスジョーの前菜もメインの鴨料理も美しく片づける。そして、するするとワインを開けていくものだから、ネズも少し早いペースでグラスを干してしまった。すっかり砕けた空気で食後の紅茶とデザートを迎えることになる。
昔は正しく動くことでいっぱいで味も覚えていなかったが、ずいぶん失礼なことをしていたなと思う。ここで鍛えられた一通りは、社交の場に出ることが増えたネズにとって強い武器になった。店にも借りを返しがてら、妹も連れて来よう。
「せっかく慰労でお誘いいただいたのに、現役時代の話、全然しませんでしたね」
ティーカップを静かにソーサーに乗せるネズに、ポプラが片眉を跳ね上げる。
「したいのかい? あのお粗末な幕引きで?」
返す言葉もなく、ネズは口を曲げた。
「あれしかなかったんですよ。おれはいくら言われても、痛くも痒くもねえですし」
ジムリーダーとしてのネズは、監督不行届きによる引責辞任という形で終わった。ネズにとっては退く形が変わっただけだったし、いっそ自分が泥をかぶった方が、後任へのバトンタッチも上手くいくという判断で敢えてそうしたのだが……
「まあ、ポプラさんに比べたら、スマートではなかったです。認めます」
あれは、まさに魔術師の仕業だった。
短期間に問題児を引き取り、ジムリーダーに据える了承も取り付け、あの決勝トーナメント。どんな手管を使ったものか、よほど見どころのある後継者なのだろう。我が強くて扱いづらいと思われがちなポプラだが、その実とても情の深い人間だと、救われた自分も良く知っている。
「おれはおれなりに、あなたをリスペクトしてやってきたんですが、未熟なままでしたね」
酒精のせいで緩くなった口から本心がこぼれた。
ジムを切り回してホームを守ることは、自分の覚悟以上に難しいことだった。地図の対角に住む先達の苦労は自分の比ではなかったろう。リーグに八百長が横行する頃から、あの森の主人を勤め続けていたのだから。
今かな、と、ネズはジャケットのポケットから、小さな箱を取り出した。本当は帰り際に渡そうと思っていたのだが。
「お互い一区切りした事だし、ここら辺で、何か形で渡せないかと思って……」
ビロードで覆われた小箱をテーブルにそっと置き、ポプラの前に押し出す。
「開けていいのかい」
「どうぞ」
中に入っているのは、懇意の作家に作ってもらった、一枚の葉を模した銀細工のハットピンだ。中をあらためるポプラが「おやおや」と声をあげた。
「まっすぐで、ひねくれて。その上気の利く坊やになったね。躾けた甲斐があったよ」
魔術師の賛辞を正面から浴び、ネズは面映そうに窓の外へ視線を逃がす。
「ずるいですね、ほんと……」
「そういうわけだから、投資した分をこれから回収させてもらうよ」
「は?」
「忘れたとは言わせないよ」
「いや、覚えてますけど……」
この態度、魔術師というよりも、寝物語の性悪な魔女では? ネズは出かかる言葉を紅茶で流し込む。
「まずはこれだよ。うちの若いのが中心で、新作の台本を仕上げてきてね」
小箱をバッグにしまい込み、代わりに「決定稿」と書かれた台本を取り出した。台本を渡されたネズは手に取り、ページをパラパラと捲る。第三幕、音楽と書かれた部分に一箇所だけマーカーが引かれている。
「曲を書いてくれないかい。マーカーのところの場面だ」
「はあ?」
劇伴なんか作った事もなければ、その手の知識もない。
「カンパニーでも、新しいことをやろうって話になったのさ」
芝居の概略を聞けば、昔のガラルであった実話をもとにしたものだという。過酷な労働環境に反発する若者たち。話を聞きながら流し読みした台詞には、確かに惹かれるものがあった。知らず足を組み、真剣な面差しになる。
「あんたの曲が舞台映えしそうなんだよ。どうだい」
そのまま頷きそうになったが、我に返って姿勢を正した。
「これ、きちんと台本読んでからでいいですか。オフィシャルな依頼になりますよね」
ポプラはゆっくりと瞼を閉じて返事をする。つまり、報酬が発生するプロ同士の仕事だ。なら、なおさら安請け合いできない。
「あんたは引き受けると思うけどね。それともう一つ」
「そうですね、まずって言ってましたもんね。今度はなんですか」
「次のスタートーナメントがあるそうだけど、あんたと出るって申請をしてきたから、よろしく頼むよ」
一瞬で酔いが飛んだ。
「いや、え?」
「あんた、さっき言ってたじゃないか。いずれ自分のスタイルが見つかれば、もっと伸びると思いますよ、試合してみたかったですね、って」
確かに言ったが。このバアさん、おれから言質を取るんで、孫みたいな年の弟子の寸評をさせたのか? 二の句が継げずにいるネズを、ポプラはゆっくり鑑賞しているようだった。
「あたしのエスコートをしちゃくれないのかい?」
まったくこの人にはかなわない。
「仕方ないですね。暇してますし、お付き合いしましょ」
ネズは眉を下げて破顔した。
【To my admired wizard. 終わり】