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Candy Break

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「すみません、補給させてください」
 キルクススタジアムのダイマックスポケモンたちを大人しくさせた後。ジムから続く坂を下って、おいしんボブの前までやって来たところで、ネズが片手を挙げて立ち止まった。
「座ってゆっくりなんて贅沢は言いません。ここのテイクアウトで手を打ってくれませんか」
 ホップは、隣のマサルと顔を見合わせた。
「確かに、ちょっとお腹空いたけど……ホップ、どう?」
「オレはラテラルタウンにも急ぎたいぞ……」
 視線を交わし合う少年達に、悪い大人が哀れっぽい声を出した。
「このままだと、おれがラテラルまで保たねえんです。奢りますから」
「乗った!」
 マサルが手を挙げる。ホップの視線に、ごめんって、と小声で謝ってくれた。
「助かります。これで好きなもの頼んでください。おれは、きみと同じ物でいいので」
 ネズが財布から一番大きい額の紙幣を抜き、マサルに手渡す。うわ、こんなに良いんですかと恭しく受け取ってから、マサルはホップを見た。
「ホップなにが食べたい?」
「うーん……オレあんまりお腹空いてないし、二人のご飯だけでいいぞ。ネズさんも調子悪そうだし、オレ、ネズさんについてるよ」
 ホップは上手く笑えているといいな、と思いながら断る。本当は、早く飛び出してラテラルとナックルへ行きたかった。胸のあたりで名前のない何かがグルグルと渦を巻いて、とても食事という気分じゃなかった。
「そう? じゃあ、行ってくるよ。ネズさん、ごちそうになりまーす」
 手を振ったマサルがおいしんボブの扉に吸い込まれるのを見送ると、白い息を吐いたネズは、少し離れた歩道の手すりに背中を預けた。
 その隣で手すりに寄りかかったホップは頭を垂れると、眼下の池に立つオブジェを、見るでもなく眺めた。苛立っているわけじゃないのに、足を小刻みに揺らしてしまう。母がこの場にいたら、きっと行儀が悪いと軽く叱られるだろうな、と、どこか自分を斜め上から見る自分が思う。
「足を止めさせてすみません。きみが焦っているのは察していたのですけど、おれが動けないと、もっと遅れちまうので」
 メロンたちと話していた時よりも、やや低いネズの声がする。冗談ではなく調子が悪そうだ。
「きみ、本当に、食べなくて平気ですか?」
 無言で頷くホップ。その手すりにかけた手の中に、ネズが何かをねじ込んだ。
「なら、そいつだけでも口に入れてなさい」
 手を開くと、派手な緑色をした丸いものが、青いリンゴの印刷された透明のフィルムに包まれていた。ディスカウントストアで売っている、大きめの安いキャンディだ。
 意外な人から意外なものが飛び出した。ホップが目を丸くしてネズを見上げると、ネズはちょうど、派手なピンクの飴玉を口に放り込むところだった。包みの模様を見るにイチゴ味らしい。
「ネズさん、いつも持ってるのか?」
「うん、まあ……非常食だよね。お腹空かせたまま試合続けると、低血糖でぶっ倒れちまうんで」
 視線が手のひらの飴とネズを行ったり来たりする。ネズは眉尻を下げ、目細めてホップを見ていた。
「あ! あの時のトーナメントか!」
 ホップは思い出した。ネズは昔、試合後に倒れた事がある。6年前、兄と当たったマクロコスモス主催のトーナメント。準決勝で勝ちを納めた兄の姿に会場が沸く中、カメラの隅でぐらりと体を揺らし、そのまま倒れ込んだのが敗者のネズだった。
「そうですよ。経験者の言う事は聞いときなさい」
 そう言われると従うほかない。ホップは包みをほどくと、飴玉を口に放り込んだ。
「お互い無理だけは止めましょ」
 口の中で飴を転がす。イラストどおりのリンゴの風味はなく、甘味料の味しかしなかった。
「……すごいな」
「気持ち悪いほど甘いでしょ」
「飴の話じゃなくて」
 ホップは、ジムチャレンジの時のようにジムを巡り、突然のダイマックスで混乱し暴れるポケモン達を大人しくさせるだけで精一杯だった。
 隣で戦っていたジムリーダーたちも、ひとりで全て片付けたビートも、そんなみんなに頼られるマサルも、自分よりずっと凄い。ソニアだって、あんな目に遭ったのに気持ちを切り替えて、できる事をやってくれる。
 ネズだってそうだ。偶然居合わせただけなのに、ホップたちと一緒に来てくれて、ギリギリまで無理をしてくれている。
「みんな、しっかりしてて、すごいなって話」
「え、それ、おれもです?」
 自分の顔を指さすネズに頷く。ネズは眉を寄せた。
「こいつは重症ですね」
 ネズは乾いた笑い声をあげ、手すりに背を預けてのけぞった。
「おれは、あの赤いのと青いのが気に食わねえだけですよ」
 そう言って、ネズはホップに手の甲を向け、人差し指と中指を立てる。少し良くないハンドサインだ。
「お、お行儀が悪いんだぞ……」
「そうですよ。どんな大人だと思ってました?」
 尋ねるネズの口調は柔らかい。皮肉で言っているのではなさそうだった。
「ネズさんは……見た目は悪いけど、結構ちゃんとしてるし、落ち着いてる人って感じ」
 自分とは正反対だ。奥歯で飴を砕く。
「おれなんか、今、すごいフワッフワですけどね」
 ネズは喉の奥で笑った。
「……朝の5時半に起きるんですよ。アラーム止めてるのに」
 きょとん、と、ホップはネズを見る。突然何の話だろう。
「それで、ベッドでうだうだしながら、ああ、早く起き上がって、食事の支度して、朝のルーティンやって顔作って、7時にはジムに行かねえと……」
 片手の指を一つずつ折っていたネズは、その手を開いてホップにヒラヒラと振った。
「そこで、もう7時に家を出なくて良いって思い出すんです。ジムに行くのは妹ですよ。滑稽でしょ」
 ネズの口からも飴を噛み砕く音が聞こえる。少し寂しそうに笑うネズに向かって、ホップは、そうしないといけない気がして首を横に振った。
「あったはずの暮らしがなくなって。それででしょうかね、音楽の方も、あんまり身が入らなくなっちまいました」
 ジョークめかした調子で、ネズは首を傾けてみせた。
「どうしたらいいんでしょう。おれ」
 長いモノトーンの前髪がネズの顔にかかる。
「そんなの、オレだってそうだぞ。オレも、分かんないんだ……」
 自分と似たような悩みを、隣の悪そうな見た目の大人も持て余しているらしいと分かって、ホップは思わず本音をこぼした。
 周りの人たちはみんな新しい道を見つけているのに、自分は、まどろみの森の霧からずっと出られないようでいて。そこに、しっかりやっている姿を見せられて。疑うことなく「ある」と思っていた物がなくなって、おぼつかない自分が情けなくて、どうしたらいいか分からない。
「おや、意外ですね。分からないことがつらそうな顔して」
 ネズが体の向きを変え、ホップと同じように両腕を手すりにかけた。
「だって、あんなに楽しそうだったじゃないですか。おれに最初に負けた時。どうして勝てないんだ? 分からないぞ、って」
「えー? オレ、すっごい悔しかったけどなあ」
「そうですね。悔しそうでしたけど、それ以上に、おれのメンバーとおれの戦い方を理解して、咀嚼してやろうって熱がありました」
 起伏のないネズの声は、なぜだか今のホップには、ゆっくり撫でられているように感じられた。
「人は、知らないものを恐れます。でも、ホップ。おまえは違うよね」
 ネズに「おまえ」と呼ばれて、ホップは少しくすぐったい気持ちになった。兄も、たまにホップを「オマエ」と呼ぶ。そこには気安さと親愛があって、ホップは兄にそう呼ばれるのが好きだった。自分の兄とは似つかない人だったけれど、ネズの「おまえ」からも、兄のそれと同じ響きがしたのだ。
「未知に怖気付かない事と、理解するまで挑む粘り強さを、おまえは、おれとのバトルで見せました。それは、おまえだけの美徳ですよ。誇っていい」
「か……からかわないでほしいぞ……!」
 ホップは深く俯いて表情を隠した。さっきもメロンに褒められた時、ネズに「ニヤついている」と指摘されたばかりだ。
「褒めてるんですよ。日に二度もおれのところに来て、勝ってスパイクタウンを出て行ったやつ、なかなかいません。それだけ短時間で考え抜いて、手持ちの戦力でやりくりできるのだって才能です。きっと、なんとかできますよ」
 畳みかけられて、ホップは口に残っていた飴玉のかけらを飲み込んでしまった。咳払いして、額を手すりに当てる。冷たくて気持ちよかった。それだけ自分の顔が熱くなっているんだろう。
「まあ、無鉄砲で諦めが悪いとも言いますね。その性格を存分にぶんまわすと良いですよ」
 笑い交じりの声で締めくくられた。
「もう! ネズさん!」
 がば、と身を起こすと、目の前においしいみずのボトルが差し出された。
「どうぞ。口の中さっぱりしますよ」
 さっきまでホップをからかっていたくせに、こうやって、欲しいものを差し出してくれる手つきは優しい。ホップはお礼を言ってボトルを受け取った。
「……なんか、転がされてるって感じがするぞ」
「お誉めに預かりどうも」
 きっとこの人には、なにを言ってもかなわないんだろう。言い返すことを諦めて、ホップは遠慮なく未開封の栓を捻った。口をつける。何度かボトルを傾けて、ようやく口の甘さがいなくなった。冷えた水がからっぽの胃に流れ込む感覚に、少しだけ空腹を思い出す。
「これで水分も取れるって寸法ですよ」
 しょうもないライフハックを披露するネズに、ホップはボトルを片手に腕組みをした。
「ネズさん、ここまでやらないとダメなのか?」
「いいえ。スケジュールかメンタルのきつい時限定です。基本的にはきちんと食べるか、胃が受け付けない時でもゼリー飲料なんかで凌ぎます。今日は良い方です」
 なんでもない顔で言うから、ネズにはご飯が食べられない日があるなんて、聞き流してしまった。引っかかりに気がついた時には、もうすっかりネズは保護者のすがたでホップに向き直っている。
「ところでおまえ、本当にご飯いいですか? 自分のコンディション、一回確認しなさい」
「確認って言われても……」
「……目を閉じて。深呼吸」
 有無を言わせない声。ホップは訝りながらも言われた通りにする。
「吸って吐く間に、自分の体が疲れてないか、痛むところはないかチェックする感覚です。ハイになって思わぬところにケガしたりって、ありますから」
 何度か深く呼吸する。そういえば少し、右のすねの辺りが痛い。走るのに夢中で、どこかにぶつけたのかも。
「ううーん……」
 冷たいキルクスの空気がホップの胸を洗っていく。温泉の独特の匂いと、ステーキソースの匂いがして、ホップは目を開けた。
「どうですか」
「どうしようネズさん」
 ホップは自分の胃の辺りを抑えて、きまり悪そうにネズを見上げた。
「オレもお腹空いてきちゃった……」
 ネズが愉快そうに声を立てて笑う。
「大丈夫ですよ。あいつ、絶対に大荷物抱えて出てきますから」
「ホップ! ネズさあん!」
 ネズの言葉が終わらないうちに、我らがチャンピオンの呼ぶ声。声の方を見れば、両手に袋と箱を抱えたマサルが、おいしんボブのドアを足でおさえている。困った声でまたホップの名前を呼んだ。
「どうしよう、キルクススタジアムのお礼だって、おまけして貰っちゃった……」
 ネズが、得意げにホップにニヤリと笑ってみせる。
「行ってあげなさい」
 ホップはネズに頷いて駆け出す。
「マサル! ネズさんと喋ってたらお腹空いたから手伝えるぞ!」

【Candy break 終わり】

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