
Sister, She is the STAR.
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「もしアニキがお前を見失ったら、どんな小さくてもおれを呼んでください。すぐにマリィを見つけるけんね」
兄がそう言ってくれたのは、初めてバウタウンへ二人で出かけた日だった。まだ六つのマリィが、バウタウンに遠征するネズと離れたくないと泣きに泣き、ネズが折れたのだ。試合の前日にバウタウンにマリィと訪れたネズは、週末に開かれるマーケットへ連れてきてくれた。
マリィにとって、これが初めてのバウタウンだ。海の匂いが近くて、マリィたちの町よりも暖かく、日差しも眩しい。キャモメたちも元気よく、観光客が持つサンドイッチの具を狙っている。
故郷と全く違う港町の姿に、マリィは大はしゃぎだった。なにより、駅から続く坂道、というのが、起伏のない街に暮らすマリィにとっては新鮮だったのだ。
「きらきらしとる」
「カラフルなところですからね。気に入ってくれました?」
「うん!」
いつもよりおめかししたマリィは、父のおさがりという幾何学模様のシャツを着た兄に手を引かれて、のんびりと坂道を下る。
ヨットハーバー近くの広場で開かれるマーケットも賑やかで、朝とれたばかりの魚や、それらを加工したオイル漬け、フード屋台をはじめ、インセンスや、なぜか漢方薬の屋台もある。
「欲しいものがあったら、遠慮なくおれに言うんですよ」
そういうわけで、さっそくあれが欲しいとフィッシュフライをねだって、それから兄が朝ごはん用にとキッパーの缶詰をいくつか買って、広場で行われるバリコオルのタップダンスに拍手して。
マーケットを半分ほど回ったところで、緑色のソーダボトルを手に、ベンチに座って休憩している。
「疲れてないですか?」
「平気! モルペコも元気よ」
よかった、と微笑む兄が、ポケットからスマートフォンを取り出した。写真を撮るのかな、と思ったけれど、ネズの表情はすまなそうだった。
「ごめんなさい。仕事の電話なので、少し話します」
飾り気のないシルバーのスマートフォンは、兄がジムリーダーの仕事で使っているものだ。
「すみません、ネズです。今忙しいんですが……え?」
兄は真剣な表情のまま、明日の試合の事で、何か相談ごとをしている。こういう時の兄は、少し怖い。マリィの前では見せたことがない顔や、知らない言葉で話すから。
「スターティングの登録にミスがあった? 相手も? は?」
相手の声は聞こえないけれど、どうも長引くらしい。兄はジムリーダーになったばかりで、いつも眉の間に力が入っていた。マリィと一緒にいる時とバトルをしている時はとても楽しそうなのに。
ベンチに腰かけて足をぶらつかせていると、海風に愛らしく鳴るしゃらしゃらした音が、マリィの耳をくすぐった。モルペコを抱いたままベンチを立ち、音の方へ誘われる。
「わあ……」
音の正体は、ハンドメイドのウィンドチャイムを吊るした屋台だった。貝殻と、兄の目に似た緑の丸いガラス。てっぺんに白い星がさがっている。
「きれいね。ねがいぼし?」
「いいえ。それは、星の形をしているけど、ねがいぼしじゃないわ。毎朝お散歩して見つけてるんだよ」
店の女主人はそう言って微笑んでから、マリィに尋ねる。
「お嬢ちゃん、お家の人は?」
「アニキと来とるけど……あ」
マリィは苦い顔をした。兄を置いて来てしまった。屋台の女性に挨拶もそこそこ、マリィは来た方へ戻ろうとする。けれど、すぐに足が止まってしまう。
「どっちから来たんやっけ」
人ごみのせいで、目印にしていたベンチがどこにも見つからない。きょろきょろと周りを見るけれど、自分より大きな大人たちに、あの特徴ある兄の髪色さえ埋もれている。
人いきれの中、マリィは不安に背筋を震わせた。スパイクタウンなら、マリィが一人でいると誰かがいつも声をかけてくれた。みんなマリィとネズに優しくしてくれる。
ここは明るくてキラキラして、楽しいところだけれど、自分の知らない場所だ。
「アニキ……」
頼りない気持ちで、マリィはモルペコを抱きしめる。モルペコはマリィを見上げてのんきな顔でニコリと笑った。
「アニキ、マリィここよ」
少し声を張って呼ぶが、雑踏や市場の呼び込みに紛れてしまう。アニキには聞こえないかもしれない。マリィの目が揺れる。その瞳が涙でいっぱいになる。
その時、マリィの不安を吹き飛ばす声が届いた。
「マリィ!」
「アニキ!」
呼びかけると、真っ白い腕がにゅっと人混みから伸び、それがどんどんマリィに近づいてくる。
「マリィ、そこ動かんで! すぐ行くけん!」
人波をかきわけかきわけ、やがてネズが息を切らして現れる。
あの声を、兄は聞いてくれた。本当に小さな声だったのに。
「不安にさせたね。ごめんなさい」
力いっぱいマリィを抱きしめるネズに、マリィは、めいっぱい首を横に振った。兄に結ってもらった二つ結びが崩れる。
「ううん、マリィが勝手に行っちゃったけん、わるい子やけん」
ネズの腕が一層マリィを強く抱き込んだ。マリィとネズに挟まれたモルペコが、ぎゅむと音を出すので、ネズが慌てて体を離す。
「いいえ。おれのせいです。目を離したのはおれです」
兄の言うことは少し難しくて、マリィは首をかしげる。
「でも、すぐ見つけてくれたけん、マリィうれしかよ」
ぎゅ、と、ネズの掌を精一杯握る。そうすると、ネズは泣きそうな顔をしてマリィに微笑んだ。
たまに、兄はこういう顔をする。どうしてか分からないし、大きくなったら分かるようになるかもしれない。けれど、まだ幼いマリィには、この気持ちを兄に伝えるための言葉がなかった。
ネズはマリィを抱き上げると、もう一度さっきのベンチに座らせて、髪の毛を結び直してくれた。
「なにか、気になるお店があったんですか?」
マリィは、ウィンドチャイムの屋台を指差した。ネズを伴って、改めて青と白のボーダー屋根が張られた屋台へ。
「お兄ちゃん会えたの? よかったね」
女主人に頷く。
「ああ、本当だ。きれいやね。おまえの目の色みたいな緑です」
兄はマリィを抱きあげ、どれがいいですか、と尋ねてくれる。マリィは兄もきれいと言った、最初に気に入ったウィンドチャイムを指さした。
「これ」
「分かりました。おいくらですか?」
代金と交換したネズが、マリィに袋を持たせてくれる。
「どうぞ」
「おうち帰ったら飾ろうね、アニキ」
モルペコが腕伝いにネズの肩へ乗る。それを抱き留めるネズに向かって、マリィは言った。
「マリィ大きくなったら、アニキに本当のねがいぼしあげるけん。おねがい叶えてね」
◆
「そういうことがあったんよ」
マリィはリビングの床にぺたりと座り、オーロンゲを撫でながら話をしめくくった。
「マリィちゃん、めちゃくちゃ良い子じゃん……」
オーロンゲが差し出したボックスティッシュから何枚か引っ張り出した紙で鼻をかむと、キバナは赤い瞼で天井を見上げている。大人が自分の話で号泣するところを初めて見た。
「そんなに悲しい話じゃなかでしょ……?」
「違うんだよ……ストレスが溜まったメンタルに沁みてるの」
そのキバナをおつまみにするように、ダンデはマリィが渡した水のボトルを煽る。
「ネズはその時から耳が良かったんだな」
発端は、フォーマルな装いで呼び鈴を鳴らしたキバナの何気ない「これどこで買ったやつ?」という問いかけだった。
スポンサー合同懇親会、という名目で設けられた社交の場を逃げ出してきたダンデとキバナが、避難先に選んだのがマリィたちの家だったのだ。キバナから、面倒な集まりがあって、もしかしたらちょっとネズと話しに寄るかも、と聞いていたので驚かなかったが、タイミングが少し悪かった。ネズがジムに用があって不在なのだ。
それで、ダンデとキバナに水を出してあげながら、マリィはウィンドチャイムの思い出を語って聞かせていた。
「オレそういうの本当に弱いんだよぉ」
「この前、ホップとウールーの話をした時もこうだったぜ」
その話はホップから聞いたものだろうか。確かホップのウールーがターフタウンまで転がっていったとか言って、ヤローがアーマーガアタクシーに乗せてあげたとか。
「マリィ!」
玄関が勢いよく開いて、しゃらしゃらと海の音が聞こえた。父のおさがりを着たネズが飛び込んでくる。玄関前から、ダンデとキバナの声が聞こえていたんだろう。
「おまえたち、アポなしで来るなっていつも言ってるでしょうが」
「ええんよ。マリィは聞いてたから。アニキに会いに来たんやって。お仕事お疲れ様やったね、アニキ」
立ち上がったマリィはネズを出迎え、軽いハグをする。ダンデとキバナは、妹の背中に手を回すネズの目が、じっとりとこちらを睨む形相に肩をすくめた。
「じゃあ、アタシ部屋戻るけど、二人とも、アニキのこと、あんまり困らせんでくださいね」
マリィは去り際、チクリと「どくづき」も忘れない。
「本当ですよ。聞きました? まったく素敵な妹ですよ」
「知ってる……さっきその話聞いた……」
なんの話をしていたのか聞き出さないとな。そう思いながらネズは耳をそばだてる。マリィが自室のドアを閉めた音を確認し、ネズはあらためてダンデとキバナに向き合った。着崩したフォーマルで大人の体面を保っているが、相当飲まされたのだろう。
「もういいですよ」
二人は、リビングのソファでだらしなく体を崩した。ネズは改めて冷蔵庫から水のボトルを渡す。受け取った水を一息で半分ほど飲みほしたキバナが、ああ、と息をついてから身を起こした。
「ネズってこういうとこ徹底してるよね。どれだけ機嫌悪くても、マリィちゃんには優しい」
「気持ちはわかるぜ。弟の前では最高のアニキでいたいからな」
ダンデはそう言ってフニャフニャと笑う。
「そんな感じですかね。あの子はおれの、ねがいぼしなので」
美しく尊いものには、相応しい生き方で応えるのがポリシーだ。
「ところで、なにか言う事があるんじゃねえですか」
鋭い眼光を前に、トップジムリーダーとバトルタワーオーナーは揃って膝の上に手を乗せ、ごめんなさい、と頭を下げるのだった。
【Sister, She is the STAR. 終わり】