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227

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 もうどうにでもなれ、そう思ったおれは、ブラッシーから出る電車に飛び乗った。
『すまない、仕事で帰れそうにない。母さんにも後で伝えるけど、約束を守れなくてすまない。誕生日おめでとうマサル。愛してるよ』
 二世代前のスマホに表示されたメッセージと、アプリに送金されてきた半年分のお小遣いに匹敵する電子マネー。
 それが、おれをこんな暴挙に走らせている。
 父さんとおれは、ほとんど顔を合わせないまま十四年になる。おれにとっての父さんは、デリバードみたいな人だ。ホリデーシーズンによく見かける。それで、プレゼントをくれる。
 おれと母さんの拠点はカントーで、父さんはガラルにいたりカントーにいたり。やっと本社勤務になるからってガラルに移住したのに、今度は入れ違いでアローラのスタートアップに関わるからって、そっちに行ったきり。アローラの方が軌道に乗ったら一緒に暮らせるみたい。でも、それっていつ?
 まあ、そういう人だから。正直、こうなるんじゃないかな、って、思ってた。いつからか、誕生日を間違えられるのも、父さんの仕事で約束がダメになったのも、数えるのをやめたぐらいだから。
 でも、母さんがかわいそう。一年半ぶりに会えるって、あんなに嬉しそうに待ってたのに。今日だって、父さんが好きなパイの支度をして、家じゅう掃除して、今はホップの家へ行ってる。多分、ホップのお母さんから、ミルクとかチーズをお裾分けしてもらってるんだ。
 それを台無しにした父さんが許せなかった。父さんからのメッセージに「残念だったね」って無理して笑う母さんを見たくなかった。本当は母さんを慰めにホップの家に走ろうとしたけど、ホップに今のおれを見られたくなかった。お父さんとお兄さんの代わりに頑張ってるホップに、どの面下げて「父さんが帰って来なくて寂しい」なんて言える? 言えないよ。
 誰にも言えない気持ちを胸の中でグルグルと暴れさせて、おれは電車の中で、母さんに「遊びに行ってくる。遅くなるかも。ごめん」、父さんに「おれは父さんのこと諦めてる」って、それぞれ送信して、スマホの通知を全部切った。
 一人でエンジンシティより北に行ったことはなかったけど、おれは乗り換え待ちの電車が動き出すまでの間、どうするか決めている。
 父さんが知ったら眉をひそめることを、全部やってやるんだ。内緒の遠出もするし、無駄遣いもするし、門限も破ってやる。
 昼前に家を出てきてナックルまで電車に揺られると、アフタヌーンティーの時間になっていた。いつものおれなら立ち止まる綺麗なバラを見向きもせず、アーマーガアのタクシーで東へ飛んでもらう。
 目指すのはスパイクタウン。ガラルに生まれた父さんが唯一、おれを連れて行くのを渋った場所。
 シャッターの前でタクシーを降りると、閉まりきってないそれをくぐって、おれは薄暗いネオンの町へ踏み出す。
 ……暗い。
 外は曇りだけど、まだ昼間だ。こんな夜みたいな暗さ、どうしてだろう。
 天井を見上げると、分厚いアクリル板かなにかのアーケード屋根はくすんでいた。これじゃあ、灰色の雲を透かした太陽光なんか通さない。
 天井を見て歩いていたら、舗装の剥げたブロック道に躓いた。同時にはじける笑い声に振り返ると、曲がり角の奥で煙草を吸ったりしているバイカーっぽいおじさんたちが、お酒を飲んで喋っている。おれのことは見えてないみたいだった。昼から外でお酒飲む人、初めて見た。
 自販機を見つけたら飲み物を買おうと思ってたんだけど、入り口にあったポケモンセンターが最後のフランチャイズみたいで、後はやっているのか分からない小さな個人商店と、ガラガラの空きビルが並んでいる。自販機はあったけど、ちょっと年上の人たちが煙草を吸っていて近づけなかったし、なんなら電気が通っていないみたいだった。その人たちが喋る言葉は、訛りが強くておれには聞き取れない。
 父さんがおれをここに連れてこなかった理由が、なんとなく分かってきた。おれは生まれた町にあった繁華街の「ちょっと危ないところ」ぐらいの想像をしてたけど、そういうんじゃない。あそこは昼間に歩いて目的地に着くまでのちょっとしたアトラクションみたいだったけど、ここはもうちょっと、ピリピリしてる。知らない人に、あんまりウェルカムじゃないかんじ。
 どうしよ……今から帰るか……? でも、来て十分しないで帰るって意気地なしすぎないか……?
 せめて、町の奥まで行ってみようかと迷うおれに、道端の屋台みたいなブースから、おじさんが声をかけてくる。
「よお坊主」
 顔にピンクのバツ印を書いたモヒカンのおじさんに、一瞬顔を硬くする。
「坊主、ネズのライブに来たのかい?」
「……ライブ?」
 スタッフさんなのかな。近づくと、屋台には、なにかの告知ポスターが貼られていた。
「もう始まってるけど、サプライズ公演だから、チケットに余裕あるんだ」
 もともと目的なんかなかったし、ライブってことは、人がいる。
「どうだい。あいつのライブは最高だよ」
「あの。おれは現金を持っていませんが、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。ここにかざして。ワンドリンクだけど、水ならここで渡せるぜ」
「それじゃあ……お水を一つください」
 支払いが済むと黒地にピンクのラインが入ったリストバンドを貰う。227って刺繍。通し番号かな。利き手にはめる。
「スタンディングは初めて?」
 おれは頷いて水を貰う。
「そりゃあいい。今日の坊主はライブのドレスコードだよ。色も良い」
 黒いパーカー、白いチノパン、パーカーと同じ色のスニーカーのおれを、おじさんは褒めた。
 リストバンドの他に、動物が牙を剥いているようなタトゥーシールが貰えて、おじさんは、その場でおれの左頬に貼ってくれる。無遠慮にシールをぐりぐりと定着させながら、おじさんは言う。
「まっすぐ進んで、入り口でそのリストバンド見せればいいから。楽しんで来いよ」
 手を振ってくれたおじさんと別れ、おれは言われた通り、まっすぐ進んでいく。
 がらんどうのテナント、落書きされた誰かのポスター、お酒みたいな匂い。すれ違う人は、おれのシールとリストバンドを見て、「会場はあっちだよ」と奥を指さしてくれた。さっきよりフランクな人が増えたのは、もしかしたら、このリストバンドとシールのおかげかもしれない。おれはよそ者じゃなくて、お客さんになれたみたいだった。
 その人たちの言う通り進むと、おれの耳にもライブの音漏れが届いてきた。
 最初にドラムのビートがお腹を揺らした。そのリズムに合わせて歩くと、ベースのうねりが聞こえて、最後に、ギターとボーカルの高い音。おれはスマホの電源を切って、ボディバッグに突っ込んだ。
 音が一瞬止んだ時、フェンスで仕切られた会場の入り口に立つスタッフさんにリストバンドをかざして、歓声の隙間に体を滑り込ませる。
 次の瞬間、ものすごいものがぶつかったような衝撃。
 なんだろうと思ったら、それは歌声だった。鋭くて、ドキドキするような輝き。力強いのに、笑っているのに、いまにも壊れてしまいそうなシャウト。
 初めて叩きつけられたそれに、おれは一瞬だけ呼吸を忘れた。
 吸い寄せられるように、人をすり抜けて前へ前へ。目をぐっと開いて、歌の正体を見ようとする。
 低いステージの上に、その人はエレキギターを持って立っていた。ステージの後ろに、タトゥーシールと同じロゴのネオンライトが飾られて、その逆光に浮かぶアンバランスなシルエット。
 骸骨みたいに細い体の男の人が、鬼気迫る顔で歌っていた。
「おれはおまえの声、怒り、銀の■■■■■で悲しみを飲み干すハードドリンカー!」
 フロアを睨みつけて歌う言葉は、おれには少し難しかったり、早口で聞き取れない。
 でも、これは、おれのための音楽だ。そう思っちゃったんだ。
「おれはずっとここで見てる、飛び出す背中を押してやる! 大丈夫が言えないなら、おれが何度でも歌うよ」
 ライトを受けてぎらりと光る赤いギター、そのネックを持つ指が鳴らす歪んだ爆音、細い体から放たれる強いちから、荒々しいけど皮肉っぽくてセクシーな歌声。
 その全部が、おれの悲しみを食い殺してくれるから、曲が終わるまで、おれは、ステージのその人……ネズを見上げるしかなかった。
「ほら、突っ立てんじゃねえよ。まだまだ踊れるでしょう! もっと来いよ!」
 マイクを握り、ネズは手招きする。よく通る荒っぽい言葉は不思議と怖くなかった。
「行くぜ! 着いて来いよ!」
 おれたちを煽ってから曲名をシャウトして、エレキギターを引き裂くようにストロークする。それがなにかの合図になって、ぎゅう、と後ろから人の圧がかかった。
 溺れるみたいに人に揉まれるおれの頭の上を、何人もの体が通っていく。驚いてそこから逃げると、フロアの前で人がぶつかり合っている中に放り出される。あっぷあっぷしていると、近くのお兄さんが助けてくれた。
「気をつけなよ。もうちょい下がってな」
「あ……」
 お礼を言う前に、その人は、前で始まったおしくらまんじゅうに突撃していく。
 ここでやっと、おれは少し周りを見る余裕ができた。
 前で体をぶつけあう人、そのちょっと後ろで、手を挙げて振る人、一緒に歌う人。飛ぶペットボトルやプラスチックのコップ。フェイスペイントをした人、おれと同じくタトゥーシールを顔や腕に貼った人。びりびりのカットソーや、派手なピンクのジャケットの人。みんながなにかを爆発させるように、ネズの音楽に応えている。
 ステージで、それらを睨みながら、パフォーマンスを続けるネズ。邪魔そうに長いモノクロの髪をかきあげて、マイクスタンドを掴んだ。なにかの決心とか、強い意志のこもった高らかな歌声が、おれを突き刺す。言葉は分からないけど、そこに乗る気持ちが心臓の鼓動を上書きしていく感じがした。
 フロアとネズが声を合わせてなにかのフレーズを叫ぶ。きれいに重なった声に、ネズはとても悪そうな笑顔を浮かべて頷いた。
「声が出ないなら跳ねろ! 拳出せ! 全部ここに置いていけ!」
 背中を丸めて叫び、頭を振るネズ。直接体を揺らす音のかたまりは、初めてやって来た場違いなおれさえ、突き動かしてどうしようもない。
 そうして、求められるまま声をあげて、沢山の腕の波がうねる隙間から、ネズの姿を追いかける。その代わりに、ネズが削り取って差し出してくれる、輝く魂のかけらを浴び続けた。
 考える余裕もなくなったおれは、利き手を振り上げて、飛び跳ねる。最後の方では名前も知らない隣のお兄さんやお姉さんと大泣きしながら笑っていた。音楽と人の中で、自分の体がどろどろに溶けたみたいだった。
「……じゃあ、次で最後。とっておきのナンバーだよ」
 終わっちゃうんだ、という寂しさがおれを一瞬かすめていく。でも、周りのお客さんがくすんだアーケードの天井を突き破るような歓声を上げるから、おれも顔を上げてステージを食いいるように見つめる。言葉という言葉が頭の辞書から吹っ飛ぶほどの魔法みたいな時間。
 ネズはとても楽しそうに口角を上げてマイクスタンドを蹴り上げ、狭いステージから全力の歌を聞かせてくれる。
「愛してるのエールをあげる」
 コーラスでみんなが歌うから、きっとこの人の代表曲なんだろう。
 次のコーラスではおれも一緒に歌った。おれは、父さんのメッセージを思い出していた。
 アウトロの残響が消える前に、ネズは低い声で告げた。
「ありがとう。また会いましょう」
 そして、マイクを引きずったままステージから消えた。
 おれは、ここに来るまでなにに悲しんでいたのか、もうすっかり忘れていて。なんだかわけのわからない涙を、Tシャツの裾で拭うしかできなかった。



 しばらく呆然とその場で棒立ちしていたらしくて、「あの」と、掠れた声の男の人から肩を叩かれて我に返る。
 振り返ると、さっきまでステージに立っていたネズ……さんだった。おれはびっくりして、あ、とか、なんで、とか、意味のない言葉を吐き出してしまう。
「悪いけど、待ってもアンコールはないですよ。■■の時間です」
 気が付くとお客さんたちはみんないなくなってた。
「あ、あの、ごめんなさい。あの……」
 ぼうっとして、我を忘れて……こっちの言葉でなんて言えばいいんだ。
 おれが言葉を探しまくっていると、ネズさんは、まだステージの匂いを残した凛々しい眉尻を下げて、首のチョーカーで揺れる輪に指を通す。
「平気ですか。知らない人からもらったもの、飲み食いしてます? おれのライブで■■■が■■ることは無いはずですが」
 首を横に振る。質問の意味がわからない。
「すみません、もう少し、ゆっくり話してください。お願いします」
 なるほど、と、ネズさんは言い直してくれる。
「お酒を飲まされたり、味の変な物を食べたりしていませんか。具合が悪いなら、休めますよ」
「ええと、おれは、お酒を飲んでいないです。体調も大丈夫」
 スマホの電源を入れて翻訳アプリを立ち上げる。緊急の連絡先に登録してる通知が上からポコポコ降ってきて、全部母さんからの着信だった。後で電話しなきゃ。
『ライブがすごくて、呆然としていました。迷惑をかけてごめんなさい』
 翻訳アプリの画面をネズさんに見せる。
「きみ、ガラルに来たばかりですか?」
 翻訳前の言葉を興味深く眺めるネズさんに尋ねられた。頷いて、カントーから来たと答える。
「今は、ハロンタウンに住んでます」
 ネズさんは大げさに眉を動かして驚いた顔を作った。
「それはそれは。遠いところから」
 通りがかったスタッフの人になにか話しかけてから、ネズさんは片手を腰に手を当てておれを見た。
「知っていると思いますが、おれの名前は、ネズと言います。きみは?」
「……マサル」
「そう。マサル。ガラルでは、きみぐらいの子は、そろそろ家に帰らないと■■……ああ……警察に、怒られます」
 補導、って伝えたかったんだろう。それはなんとなくわかった。
「理由があって帰れないなら、そういう子が泊まれる場所に、案内できますよ」
 そこまでしたら大変なことになっちゃう。首を横に振った。
「帰ります。母さんが、家でひとりだから」
 父さんもいないし、おれも連絡つかなくて、きっと心配してる。
「それなら、外まで送ります。お母様に怒られた時は、おれのせいにしてください」
 有無を言わせず、ネズさんはすたすたと歩きだした。ステージでは真っすぐ背を伸ばしていたけど、歩くと猫背らしい。スイッチを切ったみたい。
 ネズさんと一緒に歩くと、戻り道は全然怖くなかった。ライブのハイな気分が抜けてないせいだと思ったけど、ネズさんがいると、来た時より街の人たちが優しいんだ。
「お、よかった。ちゃんとライブ行ったんやね」
 ネズさんが、チケットを売ってくれたおじさんに声をかけられて足を止める。
「おれはこの人と少し話すので、きみもお母さんに電話なさい」
 言われるまま、素直に母さんに電話する。電車でナックルまで来て、ぼーっとしてたって言ったらそれは驚かれた。おれに何ごともないと分かると、母さんは、それならいいの、と、朗らかに続ける。
『マサルが帰って来たら、お隣のお母さんとホップくん呼んで、憂さ晴らしするんだから。パパのぶんは全部ゴンベにあげちゃう!』
 いたずらっ子みたいな笑い声がした。
『パパになんてメッセージしたの? 何が何でも明後日帰ってくるって。謝って話したいって言ってるよ』
「そっか。おれももう帰るから、ブラッシーの駅近くなったらまた連絡する」
 電話を切って横を見ると、ネズさんはおれを待ってくれていた。行きましょうか、と、言ってくれるネズさんの肩は、面白そうに揺れている。
「とんだナックルシティがあったもんですよ」
「ち、ちがうんです! 待って」
 慌ててアプリに翻訳してもらう。
『内緒にしたいのは、大事な思い出だからです』
 両手で差し出すスマホの画面を見て、ネズさんは喉の奥で笑い声を揺らした。
「そうですか。きみがそう言うなら、構いませんよ」
 ネズさんの、おれを否定しないスタンスが嬉しかった。
「そんな調子じゃ、歌詞も分からなかったでしょうに。楽しんでくれてありがとう」
 ありがとうは、こっちだ。ネズさんの歌が、おれをどうにか真っすぐにしてくれた。
「あの……曲の名前を教えてくれますか?」
 おれは、聞いていて特に突き刺さった二曲の歌詞をワンフレーズずつ伝えた。どっちも配信サイトで聞けるって、ネズさんはタイトルを教えてくれる。慌ててスマホにメモした。
「今日みたいな歌ばかりじゃありませんが、気に入ったら他の曲も聴いてみてください」
 おれは車体に足をかけて、運転士さんに言う。
「えっと、ブラッシーの駅まで、お願いします」
「マサル」
 名前を呼ばれて振り返る。
「また来てくださいね。今度は怒られないように」
 にやりと笑うネズさんに向かって頷くと、おれはタクシーの車輌に乗り込んだ。ドアが閉まる。その窓ガラスの向こう、ネズさんがなにかに気づいて、自分の頬を細い指でつつく。
「あ」
 おれはタクシーの中で、タトゥーシールを擦り落とした。ネズさんは顔の横で手をひらひらさせて見送ってくれた。



 ブラッシーの駅についたらもう夜で、駅の前で母さんとホップが待っていた。家に帰る道で、ホップから「来週アニキにポケモンを貰って、ジムチャレンジの推薦状ももぎとるぞ!」って誘われる。
「マサルにもポケモンあげるのは、アニキにオッケー貰ってるんだ。もうすぐ誕生日だろ? オレからのサプライズだぜ!」
 母さんはナッシー、父さんはゴンベ、おれはまだ自分の相棒がいない。いつか欲しいなって思ってた。
「すごく嬉しいよホップ! でも、おれ、バトル全然わかんないけど、いいの?」
「大丈夫だぜ! だってマサル、おれのウールーにも好かれてる。ばっちり素質アリだ! マサルと一緒なら、ジムチャレンジだって、絶対、絶対楽しいぞ!」
「それなら……」
 ちらりと左隣を見る。母さんは目だけで頷いた。
「子どもは親のことなんか気にせず、好きに遊んだらいいのよ。母さんも昔はそうだったから」
 ね、と、カントーのジムバッジを三つ持っている母さんは、おれの左頬を親指で撫でた。



 まさか、うそでしょ。
 シャッターの方へ駆け出すマリィからもらったリーグカードを、おれはイシヘンジンみたいな顔でまじまじと見ていた。
 初めてこの町に来た日に手にした宝箱の蓋が、勝手に開いちゃった。
 ネズ、あのネズ。おれを勇気づけるシンガー。ジムミッションの前にはいつも聴いてる声の持ち主。
 まどろみの森を歩くみたいに、ボンヤリ控室になってる空きテナントにお邪魔した。
 白状すると、開会式にいなかったジムリーダーのことなんか、メロンさんを突破するまで忘れていた。七つ目のジムはあくタイプ、という事しか知らなくて、そんな。
 ……ジムリーダーの方が本業だったなんて。
 どんな風に戦うんだろう。マイクを持ってるから、歌うみたいにパフォーマンスするのかな。おれ大丈夫かな。あの人のライブ浴びながらバトルする自信ないよ。
 パーテーションで仕切られたロッカーの前で、ユニフォームに袖を通す。登録番号の227は、あの日貰ったリストバンドの数字。ワイヤレスイヤホンからは、ネズさんの音楽が流れている。
 このルーチンは外せない。たとえこれから会う人が、そのネズさん本人でも。
 あの人はきっと覚えてないだろうな。おれ髪型変わってるし、カラコンとか入れちゃってるし。身だしなみを確認するため姿見に写した自分が、今までで一番緊張した顔してる。
 ジムミッションは、まっすぐ進んでいくだけ。それなら体が道を覚えてる。怖くない。
「よし、行こう。楽しもうねインテレオン」
 おれは相棒の入ったボールを握りしめて、イレギュラーなジムチャレンジに挑む一歩を踏み出した。


【227 終わり】

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