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今夜はワイルドエリアで泊まりにしましょうか。
ターフタウンからナックルシティへ続くモーターウェイを黒い大型バイクで流しながら、ネズは決めた。元からどこかに泊まるつもりでいたが、今夜はなるべく人の少ない場所で過ごしたい気分だ。道具も一式積んでいるので問題はない。
理由は、数時間前にターフスタジアムで幕を閉じた、アルセウス製薬杯。ネズの戦績は珍しく初戦敗退で終わった。ポプラが一番手に繰り出したクチートをどうにも捌ききれず、いたずらにメンバーを消耗させたのが良くなかった。それで惜敗に持ち込めたので、オーディエンスの落胆はなかった、と思いたい。
ネズにとって勝敗は結果でしかない。勝っても負けても称えられる試合をすることが、重要だった。負けると分かって挑むのは愚かだが、負けると分かっているからこそ、愚者となって死に物狂いで食らい付く。そうでなければ、わずかな勝利の可能性さえ捕まえられない。それに、オーディエンスは演者の手抜きに敏感だ。
無様な負けを晒さないだけで上等、そう割り切ろうとしても、自分のミスが引き寄せた敗北は苦い。幾つになっても飲み下せないその味を舌先で転がしながら、それでもダンデの優勝を見届けた。基本的に他のトレーナー達の試合は、余程のことがなければ必ず観戦する。そうして自分の義務を果たしたネズは、主催から誘われた食事会を袖にして、今に至る。
ティアドロップサングラス越しの風景が、緑と麦色が波打つ穀倉地帯から、乾いた土のそれに変わった。ターフとラテラルの境を越えたようだ。ここまで走れば、旅程はあと半分ほどだ。
単独遠征した時の帰路を小旅行に変えるのは、ネズの数少ない自由時間の過ごし方だった。この文明の鉄馬は、ポケモンの騎乗ライセンスを持たないネズをどこへでも運んでくれる。扱いは、大体相棒たちと同じだ。飯を食わせ、メンテナンスをし、コミュニケーションを取る。
メタリックな黒い車体に、構造が剥き出しの三気筒エンジンを積んだネズの愛車。重さは、おおよそドータクン一匹分。下手な転び方をしたらひとたまりもない巨体だが、ネズはそれを見事に手なずけて走る。
クラシックなデザインに最新の機能を搭載したバイクが、心地よい加速感をネズに与えてくれる。ギアを上げるたび、ジェットヘルメットごしに聞こえる風とマシンの音が変わっていく。轟くエンジンは鼓膜と体を揺らし、この大きな物が自分の真下で従順であることを伝えてくる。
……たまらねえな。
静かに湧き上がる高ぶりに、ネズは皮肉っぽく、片方の口の端を引き上げた。
自分より大いなるものを支配し、操る行為には快楽が伴う。自制心があるネズでもこの有様だ。このバイクがミニチュアに見える程の巨躯を従え、戦う気分というのはどれほどなのだろう。
ハンドルを握る右腕をちらりと見る。他のジムリーダーやチャンピオンが持つ物がそこにはない。そもそも使うつもりもない力だが、もし使ったとして、このマシンと走る以上の全能感を己で処理できるのだろうか?
埒の開かない疑問を振り切るように、長いカーブを滑らかに越えていく。後ろに積んだキャンプ道具の重心まで考え、車体を傾けるのも慣れたもの。そのまま速度を落とすと、モーターロードから一般道へ合流する。
気まぐれなダーツのようにネズの気分が刺した目的地は、巨人の帽子だ。ナックルシティの東側から、歴史で舗装された都市を現代の騎馬で走る。目指すのは、龍の頭をモチーフにした出入口ではなく、車両専用の通用口。緊急車両以外の乗り入れには通行証が要るため、IDを提示してワイルドエリアに入る。
バイクに跨ったまま食材屋に声をかけ、今日の仕入れの中から、自分とポケモン、二食ぶんの食材を買い込んだ。小銭がないので、釣り銭はチップで取っておいてくれと紙幣を渡す。
「お疲れ様です」
食材をまとめてもらう間に、近くのリーグスタッフに声をかける。
「ナックル側で、変わったことはありましたか?」
「ネズさん! こんばんは! 鏡池の方でバルジーナの小競り合いがあった程度ですよ!」
アイドリングの音に負けない溌剌とした声の監視員は、ネズと同じぐらいの年頃だろうか。
「そうですか。こちらは巨人の帽子にいるので、緊急なら呼んでください」
ネズの声は大きくないが、不思議とよく通る。
「助かります! 万一の時には頼みます!」
「お待たせしました! 試合お疲れ様! 今日のズルズキンかっこよかったですよ!」
袋詰めされた品物を受け取ると、二人に片手を挙げて別れた。
巨人の帽子の西側、げきりんの湖の近くでバイクを停め、エンジンを切る。二時間近く走り通した緊張を緩め、ネズは車上でヘルメットとサングラスを外し息をついた。
レザージャケットの下、ボディバッグにしまっていた相棒たちを次々と出してやる。みんな、長距離ドライブや試合の疲れも見せず飛び出しては、自由に遊び始めた。タチフサグマだけは、ネズの傍らに黒服よろしく立ってくれている。
「あまり遠くへ行ったらだめですよ」
釘を刺して、ネズは愛車から降りた。スタンドを立てると労わるようにシートを叩き、キャンプの設営に取り掛かる。スマートフォンで流す古いソウルミュージックをBGMに首を揺らしながら、テントとタープを張り、時折流れる音楽を口ずさみつつ、タープの下に折り畳みの小さなテーブルとチェアを置く。そうこうしていると辺りが薄暗くなってくるので、LEDランタンをタープに吊るした。
「さて」
腰に手を当てて献立を思案するネズのもとに、ポケモン達が戻って来る。遊びに行ったとばかり思っていたが、きのみや薪を抱えて、ネズに差し出してくれた。礼を言って、焚き火台を組み立てる。薪で火を起こし、手持ちたちには温めたレトルトハンバーグと食パン、きのみを食べさせる。その間にハンバーグとモーモーチーズを挟んだホットサンドを拵え、メンバーの食事を見届けると、タープの下で椅子に座って齧り付いた。濃いハンバーグソースにチーズが絡み、食欲を刺激する。スパイスセットがあればもっと自分好みになったな。そんなことを思いつつ、ハンバーグを温めた湯で入れたレトルトスープを、マグカップからすする。パウチの味がしたが、どうせネズしか口に入れないので構わない。
いつもなら、ポケモンには体格や年齢に見合った専用の食事を食べさせるが、今日のようなメニューも喜ばれる。たまに貪るジャンクフードがたまらないのは、自分と同じなのかもしれない。ネズは片手でホットサンドを食べている最中、空いた手で自分にすり寄るスカタンクとズルズキンを撫でてやった。
手ひどく負けた日の手持ちたちは、殊更ネズとスキンシップを取りたがる。普段は凛々しい兄貴分に徹するタチフサグマでさえ、鼻先をネズの頬に押し付けるぐらいだ。甘やかされているな、と、ネズの胸に甘い棘が刺さった。
独立心と警戒心が強く、すぐ力に訴え、容易に心を開かない。そういう気性だから、あくタイプのポケモンは、人と暮らすのに向かないとされる。特に問題児ばかりをメンバーに勧誘したネズは、信頼関係ができあがるまで、散々ポケモンから試された。締め付けられて肩が脱臼したり、毒液を浴びせられたり、大事なものを壊されたり。度が過ぎれば叱り、あの手この手で喧嘩を繰り返して、今では固い結束のチームとしてまとまっている。優しさを受け取るのが苦手なだけで、ひとたびボスと認めてくれたら持ち前の長所を発揮してくれる彼らに、次こそ応えてやりたかった。
「今日はおれのミスで負けちまって、すみません。次は絶対、おまえら全員に見せ場を作ります。約束です」
そして、愛すべき跳ねっ返りたちをまとめるタチフサグマに、ネズは「おいで」と手を伸ばした。
「タチフサグマ、今日はよくマホイップの一発を耐えてくれました。イカしてましたよ」
一匹ずつメンバーを呼び、その全員を丁寧に褒める。勝った試合でも負けた試合でも、欠かさずやっているコミュニケーションだった。愛情を注ぐ相手に、哀愁のネズは言葉を惜しまない。
褒められたポケモンたちは次々、ネズに軽いたいあたりをしたり、拳同士をぶつけたり。彼らなりのやり方で、ネズに気合を入れ直してくれた。最後に称えたカラマネロはネズの目をじっと見つめ、全員の闘志も信頼も萎えていないと教えてくれる。にゅっと目を細め笑うカラマネロに微笑み返すと、しなる腕で肩を叩かれた。
「みんなありがとう。あとは自由時間にしましょうか。出かけるなら、おれが聞こえる範囲でね」
タチフサグマとストリンダー以外の三匹が、自分のボールをネズに渡してきた。珍しく早寝するらしい。そのメンバーたちをボールに戻し、ホルダーに固定すると傍らに置く。スマートフォンに通知がないことを確認し、ネズは画面を小さなテーブルに伏せた。
良いことだ。誰もかれも平和で、ネズを気にかけない。
くつろいだ気分でキャンプチェアに座り直し、ネズは、最近読み始めたペーパーバックを開いた。ミステリで有名な女性作家が変名で書いた長編だ。主人公の一人称で描かれるのは、旅先での物語。謎と不穏をもって紐解かれる、主人公の幸福に潜む歪み、その筆致に引き込まれる。
自分の余暇に読書という選択肢が存在するのは、親の寝物語と、遺してくれた本棚のおかげだ。物語の世界は、スパイクから離れられないネズを、心だけでも遠くに連れ出してくれる。気に入ったら何度も読み返し、背表紙が割れて買い直すのもざらだった。今日の一冊は、書店で美しいタイトルに惹かれて手に取った。そのタイトルが偉大なる劇作家の詩から引用されたものと知り、己の教養のなさに落胆したのも記憶に新しい。
エールを傾けながらペーパーバックを読み耽る。その足元にタチフサグマがやって来て、落ち着く姿勢を探しているのを片手間に触れる。べろりと舌先が指に絡み、こら、と軽く叱った。佳境に差し掛かるストーリーを止めるのが惜しくて、インナーで手を拭ってページを捲る。
結局、そのまま最後まで読み切ってしまった。余韻に頭を揺さぶられながら、満足の吐息を漏らす。青い下草の匂いとともにぼんやり夜空を見上げるネズに向かって、タチフサグマが不思議そうな声を上げた。首をくすぐってやる。
「ねえ。もしおれが、よくない愛し方を押し付けていたら、どうか怒って。遠慮なくやっちまってくださいね」
タチフサグマはネズの言葉に目を細めた。幼い頃からずっと一緒の相棒は、きっと、こいつまた面倒なことを言っているぞ、と思っているのだろう。
「すみません、タチフサグマ。読んだ本が面白かったので、つい」
愛すること、家族への過ちとどう向き合うかということ。そんなことを、思わず考えてしまう内容だった。
「……おれは、気づいたら正すようにはしたいですね」
相棒の顎をひと撫でして立ち上がる。姿の見えないストリンダーを探しに行くためだ。タチフサグマも大あくびしてネズについて来ようとしたが、マズルをおさえて大丈夫、と制し、火の番を頼む。
さてストリンダーはどこかと耳を澄ませば、湖のほとりから低い音楽が聞こえてくる。ボールホルダーを片手に星々を見ながら歩みを進めると、ストリンダーの、夜目にも鮮やかな青白い鬣が現れる。目が慣れたネズは、そこでようやく、ストリンダーの周囲にいる白い塊を認識した。
チラーミィが何匹か、ストリンダーを取り囲んでいるのだ。彼の音楽につられたものか。
そっと近づくと、湖畔のベーシストがネズに気づいて左手を振る。ネズは少し距離を取ってかがみ込むと、そっとストリンダーへ尋ねる。
「お友達ですか」
ストリンダーは首をのけぞらせて喉元を指で掻く。困っている時の仕草だった。
「ほう……お困りだね、今行きます」
チラーミィを怖がらせないよう、しゃがんだ姿勢でにじり寄る。しかしチラーミィ達は、ネズに怯えるどころか、しきりにネズのポニーテールへ尻尾をすり寄せてきた。しばらく何をされているのか分からなかったが、ガラル図鑑のテキストを思い出し、ネズは口角を下げる。チラーミィ達は、尾を擦り合うことで挨拶する。尻尾は立派なほど偉い。
「あの。おれは、きみたちの仲間じゃありませんよ」
言ったところで、やめるわけもなく。小さいものに寄ってたかってリスペクトされ、ネズは観念した。ため息をつき、自分の髪をひと房握る。それでチラーミィの尻尾をくすぐるようにしてやれば、チラーミィは両手で頬をおさえて喜ぶ。
ネズは順繰りに挨拶し、満足したチラーミィたちが巣穴に帰るのを見送った。やれやれと目を上げれば、ストリンダーが低音を奏でながらニタニタ笑っている。
「おまえ、わざとですね?」
この甘えたがりは、エレズンの頃から、ネズに構ってほしくて悪さをする奴だった。普段はいかつい態度に隠して見せない一面を、呆れはしてもネズは咎めない。今日はメンバーも自分も、好き放題甘えて甘やかす時間が必要だ。明日になれば、虚勢を張って勝ち目のない相手に挑み傷つくネズに、我慢強く付き合ってくれるのだから。
「そうですね。気が済むまでそばにいるよ、夜更かしさん。ただし、焚き火に戻って、他の奴ともね」
さっきから、寝たと思っていたメンバーがボールを揺らしているのを、ネズは気付いている。自分が気兼ねなくひとりで過ごせるよう、こいつらは遠慮したらしい。そんなことをしなくても良いのに。
「おれも、おまえ達と一緒にいたい気分だからさ。独り占めさせてやれなくて悪いけど、付き合ってくれますか」
初夏の夜空を思案げに見た後でのそりと頷くストリンダーの胸を、ネズは優しくくすぐって音を鳴らした。
【me time 終わり】